お互いに

 

数年前のこと、ある方のお話に「相互供養」という言葉が出てきました。

 

「供養」という言葉に、亡くなった方への供養を思い浮かべますが、それだけではなく、生きている者同士が互いの心に在る「仏性」を認め合い、真心を持って接するという仏教の教えだそうです。

 

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先日、いつものヨーガに来て下さる方から、ミモザを頂きました。ご実家の庭に咲くミモザを剪定していて、ふと私のことを思い出して下さったようです。

 

「良かったら いりませんか?」

 

留守にしていたのでお願いしたら、玄関先に置いていてくれました。

 

こういった何気ないやり取りができる関係性って、ほっとしますね。

 

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私は自分が暮らす町で活動しているので、みなさんとよく出くわします。ちょっとした立ち話をして、その人のことをもう少し知れたりすると、なんだか嬉しくなります。

 

うちで食べきれない野菜がある時、会えた人にお裾分けしたり、私もいろんなものを頂きます。本当にありがたいです。

 

「相互」「お互いさま」といったことは、もともと大切にしているのですが、ヨーガの学びの深まりから、よりしみじみと感じ入るようになりました。

 

どんな人もその存在は素晴らしく完ぺきだけれど、人生においては失敗や後悔はつきものですよね。

 

私も自分の愚かさに気づいて改めることはしばしばです。でも、そういう自分で良かったなと思っています。

 

失敗だらけの自分を隠すことはしません。すべての知識を熟知している訳ではないし、日々できるだけ丁寧に過ごそうとしている実践者に過ぎません。

 

私の目の病気のことや人生の失敗談を話すと、どちらかというと、みなさんほっとした様子でお付き合いして下さいます。格好をつけないことは私自身が楽なのですが、おそらく親近感を持って下さるのかな笑 

 

私が敬愛する先生方も、人間くさい良い先生でした。もう長らくお会いしていませんが、普遍的なことを教えて頂いたから、もう会わなくても大丈夫だと思っています。

 

ちょっと顔をあげて、空を見上げれば、すぐに自分の小ささと世界の広さに気付きます。よく聞く、ありふれたことのようですけれど。

 

みんな同じ。上も下もないのです。お互いがお互いを尊重し合える世の中でありますように。

 

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「指導者は友人以上でも以下でもありません。指導者はあなたが右へ倣えをしなくてはならない権力者でも、知った被り屋でもない。指導者とはただ単純にその人自身が苦しみを味わい、それを乗り越えてきている人のこと。だからこそ、彼らはあなたを助け、あなたを思いやることができ、そこに友情が生まれるのです」(Mark Whitwell師の言葉 和訳:川原朋子さん)

 

 

朝霧カタツムリ

 

 

 

春の黄色を目にする度、心が晴れました。

そして、ほんのり甘い香りに癒されました。

すてきな贈りものをありがとう。