年始早々、気づきがあり、「機」を大事にして動いていました。
えびすさんに出かけるにしても、三日ある内、いつ行くのか、何時頃にするのか、自分の感覚を大切にしていました。
「ただ目的地に向かう」のではなく、「自然にまかせて赴く」という感覚が新鮮な朝でした。
氏神様の稲爪神社をお詣りしたら、えびすさんの扉が大きく開け放たれて、ぱぁっと明るい氣が満ちていました。
一枚しかない福引を引かせてもらったら、なんと一等賞! たくさんの「おめでとうございます」と、景気のいい鐘の音を浴びることができました。
あらあら、なんていい日でしょう。いつもお参りしているから、神さまが「ありがとう」を返して下さったのかしら。
次に、私が若かりし頃、巫女を務めていた岩屋神社へ。こちらの鳥居は、まっすぐ明石の海に向かって立っています。
おみくじは大吉! あったかい生姜湯を振舞っておられたので頂いて、ほっこりと福々しい気持ちに。
この日は、鏡開きの日でもあったので、作っていたおぜんざいを母のところへ持っていき、ふたりで食べました。
昔は、母が作ってくれたけれど、今では作る人と食べる人が入れ替わりました。 母が喜んでくれて、嬉しかったなあ。
翌日の今日は、左義長祭り。(この小学校の裏の建物でヨーガのサークルをしています)
息子たちが小さい頃は、毎年一緒に来ていました。竹を組んだ根もとに、しめ縄や書初めを藁と一緒に積んで、歳生まれの子どもたちが火を点けます。
火は見る見るうちに大きな炎となり、それらを燃やし、灰となって、冬の空高く舞い上がっていきます。高く舞い上がれば舞い上がるほど、字が上手になると言われています。
その様子を見て、息子たちの書初めも空に消えていった映像が思い出されました。
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火が点いたと同時に始まった和太鼓演奏が、身体中に響きました。
丙午(ひのえうま)は、陽の氣が強く、左義長の「火」にあたるのは良いと聞いていました。それに、太鼓の音を身体に響かせると、邪気祓いにもなるそうです。
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今年の始まりは、こころにゆとりがあって、一つひとつの「機」を大切に始めることができました。
ただ「行く」のではなく、「赴く」という感覚を大事にすると、目的地までの道のりのすべてが、味わい深くなりました。
自分が目にするもの、耳にするもの、触れるもの、すべてが愛おしく、行為を行っているのは「私」だけれど、大きな流れに委ねている感じなのです。
「この先、何が起きるんだろう」「何が待っているんだろう」と、わくわくします。
この感覚、これからも大切にしていきたいなあ。
朝霧カタツムリ
