あるがままとエゴ

 

どんなひとでも、きっと何かしら悩めるものを抱えていますよね。今抱えていなくても、経験としてなら、みんな「そうだね」と答えるのではないでしょうか。

 

そんなこころの迷いを聞かせてもらうことがあります。

 

100人いれば100通りの人生があり、その方々の悩める今を尊重したいと思う一方で、時々「あるがまま」を勘違いしているんだな、と思わざるを得ないことがあります。

 

「あるがまま」というフレーズは、生きにくい世にあっては、自分を救ってくれるお守りのような言葉です。

 

しかし、「あるがまま」とは、「このままでいかせてもらうわよ」という意味ではないのです。

 

自分の焦りや不安に、まわりを巻き込む前に、あなたの「あるがまま」をきちんと見直す必要があります。

 

とは言え、今の時代はたいへん複雑化しているので、どんな自分も認めてあげなければ、生きにくいですよね。

 

わたしはヨーガをお伝えすることはできるけれど、誰かを裁けるような人間ではありません。

 

近頃は、お話を聞くぐらいしかできないな、と思うようになりました。

 

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ヨーガの教えでいう「あるがまま」とは、自分の我儘を通すことではありません。

 

ヨーガの学びは、「人生においての私」ではなく、「いのちとしてのわたし」に目覚めていく道です。

 

自分のいのちがそもそもどういった存在なのかを探究していく上で、人生で身に着けてしまった「間違った認知」を時間をかけて、解いていくのです。だから、楽な道ではありません。今の自分をそのまんま赦す、認めるだけではないのです。

 

勘違いに気付いて、恥ずかしい気持ちになったり、過去を反省したりしながら、心の癖を修正して、たましいの成長をしていきます。

 

「それ、無理なんです」という壁を破らなければ、内容は違っても、ずっと同じ性質の壁にぶち当たります。

 

その仕事は、誰も代わることはできない、自分の仕事です。

 

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こう書きながら、内省しているのです。「あなた、そんなこと言えるの?」と、わたしに尋ねているのです。

 

 

 

朝霧カタツムリ