
仕事上の手続きで、市役所に提出する書類に、代表者の押印をする箇所がありました。
これからの発展を願って、実印を押したのですが、こうした時、背筋がしゅっと伸びるような気がします。
その印鑑は、亡き父が、私が社会人になった時に作ってくれたものです。
まだ若かった私は、自分に必要なものとは思わなかったけれど、「そういうものなのか?」と受け取りました。
実際、この印鑑は人生において出番がありませんでした。 素材が象牙で、かなり大きくたいそうで、どちらかというと男性的な強さを携えたものだったからです。それに、だいたいの場合、主人の実印で済みました。一体、どんな時に、娘がこんな強そうな印鑑を使うと、父は想定していたんだろうと、不思議に思ってさえいたのです。
けれど、自分の仕事を持つようになって、この印鑑を実印として、使う機会が出てきました。
この日、書類に押印する際、ふと改めて、父からの想いを受け取ったような気がしたのです。
父の写真に手を合わせて、昔に思いを巡らせていたのですが、この印鑑を手渡してくれた父の様子は、とても嬉しそうでした。
父は、神戸で建築設計事務所を営んでいましたが、自由人で、ユニークなところがあったので、ひょっとしたら、娘は何かを創る側になると、予感していたのかも知れないなと、思えてきました。
長患いをして、最後の方は言葉のやり取りが難しくなっていた父が、「私、ヨガの先生になろうと思って勉強しているんやけど、どう思う?」と尋ねたことがありました。 けれど、私は父の返事を期待していませんでした。
ですが、久方ぶりに、はっきりと「うん」と父が応えたので、驚いて、涙が溢れました。
それが、最後の言葉でした。
それも、もうずっとずっと前のことですけれど……
肉親というものは、理屈抜きで、影響し合うことはやはりあるのだと思います。
今更ながらに、この印鑑から、父の想いを受け取ったような気がした日でした。
朝霧カタツムリ