
ヒトはいつから、「飼われる」ような生き方をしてしまうようになったのでしょう。
私が若かりし頃も、世間体と呼ばれるモノや、社会の枠組みに対して、疑問や憤りを感じていたけれど、世界はまだシンプルでした。
私は、決してスマートな生き方をしてきたとは言えません。無知であるために、失敗したり、恥ずかしい思いもたくさんしてきました。いわゆる黒歴史と呼ばれる、ややこしい時期もありました。(誰でもありますよね? ない人っているんですか笑)
他人と衝突したり、泣いたり怒ったり、馬鹿でくだらないことも楽しんで、理屈抜きで繋がれる人間関係を作って、それが壊れ、移ろっていく経験もして、ある意味すべて体当たりで歩んできました。
良いも悪いも、いつも正直でした。今振り返ると、すべてにちゃんと意味が在って、成るように成るし、成るようにしか成らない、と思えます。
今私は「昔は良かった」と、聞き飽きたセリフを言うような年齢になったのでしょう。それにしても、自分で考えるニンゲンが減ったのは間違いなさそうです。
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ネットは確かに便利であることは認めます。
しかし、ネットの情報に「飼われる」のは危険です。
自らの生命の声を聞かないで、月経のリズムも、授乳のタイミングも、アプリを頼りにするのは「おかしい」と伝えていきたいものです。
私たちは、本当は知っているのです。でも、ずっと「飼われている」と、自分の中から出てくる情報を信じられなくなるのです。
私たちがお母さんという一個体から、別の生命体として生まれてきた、という不思議さや、両親だけではない、古から脈々と受け継がれてきた【いのちの営み】を【芯】から感じておかなければ、自分自身の尊さが理解できません。
生理をただ疎ましいものとしたり、自己都合に合わせてコントロールしたり、大切な性(生)を不特定多数の知らない人間に、サービスのように見せてしまったり、このままでは、ヒト族は生きていても、滅んだも同然です。
「なぜ、私たちは生まれてきたの?」
単純な性教育ではなくて、もっと包括的な生きた学びを、これからの未来を創っていく子どもたち、若者たちに伝えていかなければなりませんが、その前にオトナ自身が内省しなければ……
「恐ろしい世の中に変わってしまった」と嘆くだけでは、何にも変わりません。
私がヨーガを大切な手立てとして取り入れているのは、自分の身体・生命に【直接的】に関わっていけるからです。
誰にでも、すぐできることを、シンプルに行えるからです。
そして、みんな、ちゃんと気付いていけるはずだからです。
「飼われない」で、「あなたの内に在る力を信じて、生きていこう」
朝霧カタツムリ