この秋、朝霧カタツムリYogaは満13歳を迎えました。
近頃、公私ともに忙しく、感傷に浸る時間もありませんでしたが、今朝起き抜けに、布団の中でぼんやりと「見ている景色がすっかり変わったなあ」と、思いました。
人生を振り返ると、どこから語ればいいものやら、結局はすべて「今」に繋がっているので、全部ヨーガのおかげにするのはどうかと思いますが、私自身もともとこの道へ向かっていたような気がします。
ヨーガを伝え始めた頃、スタジオに在籍していましたが、あの頃が遥か昔に感じられます。たった13年とは思えない…その3倍ぐらいを生きたような…。
もし、人生に何の疑問もなく、単調な日々をただ繰り返していたら、それはそれで幸せであったのかも知れません。
ただ、あの頃の私の心は「疑問だらけ」でしたし、「このままでは嫌だ」と思っていました。だから、あの当時の哀しみや苦しみは、「今」をもたらしてくれる「きっかけ」であったし、真の意味で「自分を生きる旅」の始まりでした。
ヨーガの学び始め、身体を使うことが好きだった私はポーズや一連の流れに自然にはまっていきましたが、それと同時に、ヨーガの教えは、「自分の内側の光」に向かわせてくれました。
ポーズをとることは楽しいです。チャレンジもさせてくれるし、クリアできると素直に嬉しい…でも、それだけではないんです。このいのちと付き合うと、「そもそも知っていたのに、忘れていたものを思い出す」感じがあります。
新しい気づきを得る度に感動し、さらに楽になり、もしくは、最悪に思える状況に置かれることがあったとしても、本当の最悪を逃れることができる、といった救いがありました。
現代のヨーガから失われてしまった核をもう一度取り戻し、そもそものヨーガにしましょう、というハートオブヨーガの学びを得た時から、私のヨーガは私にとって個人的な体験となりましたし、皆さんへお伝えするものも、グループであったとしても個人的な体験を味わってもらえるような言葉かけをするようになりました。
すべてのいのちをあるがままに、いったん受け入れ、尊重したうえで、お付き合いが始まるのです。自分自身とも。そして、まわりの人たちとも…。 それは、今まで、習ったどんなものとも違う、納得のいく教えでした。
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私の先生の一人であるT.K.V.デシカチャー先生はこんな言葉を残しておられます。
「私は自分の友人を生徒とは呼びません」と。
巷では、世間一般のどのシチュエーションにも、そしてヨーガの世界であっても、「師匠と弟子」「上下関係」などが見られます。
それは、本当に問題です。もちろん、知識や経験の上で「先に知った者」が存在するのは当然です。しかし、伝える関係性の上で細心の注意を払わなければならないのは、「先に知った者」の方です。自分も知らなかった時期があるのですから、愛を持って仲間にシェアするという態度が大切なのです。
「師匠」と呼ばれて喜んでいたり、目の前にいる人を「弟子」と言う人にはついて行ってはいけません。
宇宙の真理のどれだけのものを知っているというのでしょう。どの人も絶対にすべてを知っているわけではないのです。だからこそ、注意深く、謙虚に伝えなければなりません。
当の本人が「納得する」というのは、本当に大事な感覚で、私はその点をいつまでも大事にしたいと思います。大事にしていても、関係性にねじれがあれば、「間違い」を犯すものだということも私は学びました。それは、大いに反省すべきことです。
いつも、祈りを捧げているのは、そういう間違いを犯さない自分で在るようにもう一度、確認するためです。
今だって、人生の中でも、ヨーガの中でも、様々なことが起きます。
でも、この仕事を「やりたい」という原動力の根っこに、炎があるのです。自分が傷ついていたあの頃、心から納得できた教えがヨーガであり、いつまでもその一生徒であることを誓ったのです。
壁があっても、問題があっても、時間がかかっても、いつかはなんとか乗り越えられるだろう…そう信じている今、見える景色が昔とはずいぶん違います。その景色は、いつも静かで穏やかです。それは、昔なかなか手放せなかった「~ねばならない」がなくなったからだと思います。
今、様々な人といろんなカタチで繋がり合いながら、学ばせてもらっていることに感謝を捧げながら、未来へ続く道を見ています。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
心を込めて。
朝霧カタツムリYoga
古のヨーガは一対一で伝えられてきました。「一対一のヨーガでは、4つの耳しかない」と言われるのですが、だからこその恩恵を受けることができます。あなたも体験してみませんか。(現在は女性クラスのみ。ご夫婦、ご家族とご一緒なら男性もどうぞお越しください)