ほんとうの優しさ

 

「やさしい」という言葉は漢字にすると、「優しい」とも「易しい」とも書くことができます。どちらにしても、「厳しくない」「かんたんな」という印象を受けます。

 

そして、人は基本的に優しくされたいと望んでいるものです。難しいことを強いられたりするのは嫌だし、なるべくなら心地よさの中に寛いでいたいものです。

 

けれども、包み込むような優しさだけではなく、ぴりりと厳しく感じる優しさがあることを、大抵の人は知っています。それは、本当に私たちのことを想って伝えてくれる言葉やエネルギーです。私の場合は家族、ヨーガの先生方、信頼できる友人たちから、そういう優しさを受け取ってきました。

 

言われたときは、ショックだったり、ムカッときたり、心もとなく感じたりしても、結局はそれがほんとうの優しさであることに気づき、その一つ一つのエピソードが思い出深い、宝ものです。

 

私自身も、皆さんと対話をし、あることがその人にとって厳しく感じられる内容である時、充分に考えた上でお伝えすることがあります。その内容がその人にとって、魂の成長の鍵となると信じられる場合です。この関係性のベースにあるのは友愛の情です。

 

先生は生徒を依存させてはいけないのです。対等な人と人として健全な関係性を構築せねばなりません。

 

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私たち生徒は先生から「あなたは何故ヨーガをするのですか?」と尋ねられました。それは、どの人も必ず聞かれた質問でした。

 

そう、私たちはヨーガに何かを期待しているのです。その理由がそれぞれにあるはずです。

 

ヨーガは「人生の杖」などと言われたりしますが、何千年もの間、人が人である所以で囚われる苦しみや悩みから解放されるために、受け継がれてきたものです。

 

ヨーガによって、あなた自身が本当は何者であるかを知り、あなた自身の力で人生の道を歩いていくためのもの。「人生の舵をとる」とか「人生の手綱を握る」などとも言われますね。

 

マットの上で、かけがえのない、「あなた」といういのちの声を充分に聞いてあげましょう。

 

「本当はどう生きたいの?」と。

 

 

朝霧カタツムリ