共存のなかで、自立すること

 

ヨーガをすると、自分のいのちと語らうことになるため、改めて今までの人生を振り返ったり、自分の性質を認識したりということが起きるのですが、そのプロセスが深化していくと、生きていく上でかつては必要だった習慣や価値観を手放すようになります。

 

 

そして、私たち自身を「社会的なアイデンティティ」ではなく、「いのちそのもの」として、シンプルに感じようとするヨーガを積み重ねると、「私たちのいのちの源はひとつ」であると気づくに至るかも知れません。(断言しないのは、誰にも必須ではないからです)

 

私は今そう感じていますが、最初からそんな壮大なことを感じ取れたわけではありませんでした。それでも、直感的に、ヨーガの真髄を学ぶことはとても重要だと感じて、今の練習方法を続けてきたからこその恩恵だと思っています。

 

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ヨーガの探究の旅で、たくさんの先生方、友人たちに出逢うことができました。その方々にもそれぞれ人生背景や性質があり、だからこそ伝える表現も様々です。

 

 

ヨーガをいくらしていても、どれだけ哲学を学んでも、そのお気に入りの世界の中でも、人と人が対等でない場面に多く出くわしてきました。結局はヨーガの世界もよその世界と同じく、問題をはらんでいます。

 

そういう点で、私自身も多く傷ついてきましたし、私の至らなさで、誰かを傷つけたこともあると思います。

 

人は人と関わらずに生きてはいけませんから、常にそういう摩擦や混乱は起きるものです。

 

それでも、ヨーガでもう一度、自分の内側を見つめ直すと、誤りを反省したり、その間違いを改めて、再チャレンジすることはできます。

 

だから、好き嫌いはあっても、お互い様の気持ちで、お互いを許し合ったり、理解しようとすることは大切です。適度な距離感を保って、この世に共存することも可能です。

 

一緒にいられないなと思う時は、無理をしません。私だけで世の中を回しているわけではありませんから、自分のできることをして、あとは自然に委ねています。そういうことができるようになったのも、ヨーガの真髄のおかげです。

 

ここ最近、同じ学びを共にしてきた仲間と一対一で意見交換をすることに恵まれて、今まで私がある意味闘ったきたことは真の学びの為に必要なプロセスであったと思えました。

 

そのうえで、「伝える立場」としてヨーガの真髄を私がどのように表していくのか、此処にきて変容している自分を感じています。

 

その気持ちがはっきりするまでにすこし日数を要しました。

 

「共存」の意味をハートの奥に大切にしながら、自分の足で立つことを始めていきます。

 

すべての出逢いとご縁に心からの感謝を込めて。

 

朝霧カタツムリより