「ご縁」

 

 

ひととひととの身体の距離が、哀しいほどにひらきはしても、こころの繋がりはより深く味わえるようになった気がしています。

 

みなさんはいかがでしょうか。

 

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今夏、わたしのヨガの妹ともいうべき愛しい存在に、三人目の赤ちゃんが生まれて、そのお知らせが来ました。

 

彼女がまだ大学生だった頃からの長いお付き合いです。彼女が大学を卒業して、就職して、結婚して、妊娠・出産を経て、今に至るまで、程よい距離でずっと繋がり合っています。

 

上の子ふたりは産院まで出向いて、抱かせてもらったけれど、三人目のボクを抱っこさせてもらうのは少し先になりそうです。

 

送ってくれた写真はお父さんにもお母さんにも兄弟にもそっくりで、思わず笑ってしまうほどでした。

 

今思い返してみると、彼女はガツガツとヨガに取り組んできたわけではなく、人生の節目節目にわたしに連絡を寄こしてきて、やり取りの中で自分にとって今必要な気づきをキャッチしていたのかも知れません。

 

指導者養成講座を修了していても、ヨガの先生としてというよりはたくましいお母ちゃんとして生き生きしている様子を友だちのひとりとして、おもしろく思っている次第です。

 

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最近になって、縁というものは自分で創っていけるものだと思うようになりました。

 

縁は、自分の状態を表しています。

 

自分のことをちゃんと観ていれば、そのときの自分に合ったひとと繋がることができます。

 

自分というのは、大きな自然から分け与えられた天分です。だから、分け与えられたものをありがたく受け取って、大切にして、今の自分にできることを丁寧に行うことがとても大切なのです。

 

逆に、すべてが漠然としていて、心身の状態がとっ散らかった状態だと、鈍った感覚で、何が正しいのか理解できないまま、目の前のものを掴んでしまったり、自分に合っていないものを握ったまま進んでしまうことになります。

 

そうすると、いろんな意味での事故を起こし、怪我をしてしまいます。自分だけが傷つくだけでなく、相手のことも傷つけてしまうでしょう。

 

自分自身を観たり、理解することにヨガやアーユルヴェーダはとても役立ちます。実に具体的な実践法なのです。

 

自分自身が整うと、ものごとを正しく見ることができるようになり、岐路に立たされた時どちらの道に進めばよいのか勘が働くようになります。ご縁も自然なかたちで訪れます。類は友を呼び、自分にとっての良いご縁に恵まれるのです。

 

2021.9.3

 

 

 

 

「先生と生徒の関係性」

 

 

常々思うことですが、「生徒は先生の所有物ではない」ということです。

 

ですが、どれだけ気を付けていても、「教える者」と「教わる者」という関係性が現にある場合、「教える側」の態度に問題が生じがちです。

 

世間一般的に起きがちな上下関係がヨガの世界でも起きることはあります。それでも生徒は謙虚な態度で先生に感謝をし敬おうとします。けれど、もし先生にあなたが踏み込まれたくない領域に入って来られて辛い思いをしたら、その場を去っても良いのです。それはあなたの自由です。

 

わたし自身も辛い思いをしたことがあるし、その経験を反面教師にしているつもりですが、誰にも辛い思いをさせたことがないとは思いません。自分にとっては愛だと思っていても、そうならないこともあるのです。

 

年齢・性別・体格・健康状態・人生背景・価値観など100人いたら100通りです。相性もあったり、その日の状態も影響しますから、相手に伝えるには「思いやり」という意識が必要です。

 

しかし思いやりをもってしても、ふたりのあいだに埋められないものが生じることはあります。ヨーガはポジティブなことばかりが起きるわけではありません。本当は観なければならない本質が明らかになり、耐えられない気持ちになることもあります。それも、実は大切な学びです。

 

やり取りの中で、もし自分の過ちに気づいた時、ひととして素直に気持ちを伝えたり、「ごめんなさい」と言うことはとても大切なことだと思っています。わたしたちはいつでも自分自身の行為を顧みて改めることができるのです。

 

そして、ネガティブなことはけっして悪いものではありません。むしろ、混乱したのち、自分だけの世界に立ち返り冷静になってみると、余分な要らないものが下に沈んで、自分にとって大切なものがはっきりと浮かび上がってくることがあります。

 

その気づきを自分の両手で掬い取って、丁寧に埃を払い、時間をかけて磨くのです。その作業は自分自身にしかできません。その行程はまわり道のようで自分自身の幸せへの確かな道のりです。

 

伝え合うことで起きることを怖がる必要はありません。ヨーガの先生は理想的な絵のように完ぺきな人ではなく失敗もたくさんしますが、自分自身がヨーガによって助けられたごく普通の人なのです。

 

肩の力を抜いて、心の赴くままに旅をして、いろんなヨガの先生から習ってみるのも良いと思います。そして、臆することなく、あなたの考えも先生に伝えてみてください。ヨーガの先生と生徒に上下関係などありません。(なくしていかなければなりません)いのちとして、わたしたちは同じ立ち位置にいるのです。

 

そんななかで、もしあなたとわたしが出会えたら、こんなに嬉しいことはありません。

 

わたしは介護経験があり、ふたりの孫がいるちょっとだけ若いおばあちゃんです。バリバリの昭和人間で、関西人で、普通のおばちゃんです。でも、こんなわたしだから伝えられることがあると思っています。

 

あなたの気づきはあなただけのもの。わたしはあなたの気づきを心から尊重します。

 

カタツムリの言霊では、自分が思う正直な気持ちを書いています。濃くて、ほんとうにマニアックかもしれませんがこれからもそうしていこうと思っています。いつも最後まで読んでくださって、ほんとうにありがとう。

 

 

2021.8.27

 

*写真はカマールフールの看板猫シャンティ

 

 

 

 

「願い」*指導者養成講座について

 

 

これはネイティブ アメリカンのホピ族のとうもろこしです。

 

ひと粒ひと粒にいのちが宿っていることを感じます。

 

直接手にして眼にすると、どんな宝石にも負けない美しさに涙が出そうになりました。

 

これを畑で作られた方は、茹でて食べてみたけれど、わたしたちに馴染みあるとうもろこしの食感とは違ったそうです。

 

残りはスズメにあげたと聞いて、ほっこりしました。スズメのフンからどこかで芽を出す…なんてないかもしれないけど、ちょっと夢があるなあ。

 

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トウモロコシのお母さんとそんなこんなをおしゃべりしていたら、「わたしがなぜ指導者養成講座を開いているのか」に触れることになりました。彼女と話をしているうちに、その理由があらためて表に出てきて、自分自身の気持ちの確かめになったのでした。

 

わたしの先生のひとりMark Whitwell先生は「あなたのそばにいるひとに本当のヨーガを教えてあげてください」と言っていました。

 

インストラクターになって何人もの生徒を相手にポーズの指示を出すのではなく、ひとりのひととして自分のパートナーや家族、友だちにヨーガを教えてあげるよう勧められたのでした。 *インストラクターとは「指示する人」

 

わたしはそのことを真に大切なことだと思ったのです。

 

そうして、わたしは家族と友人、そしてご縁ある方々にヨーガを伝えてきたわけですが、活動としてはとても小さく地味です。

 

世の中に向かってわかりやすい宣伝をしたり、大切な教えを売り物のようにひとつのパッケージにして講座を開くことはしていません。今、こんな風に多少でも声をあげていなければ、ここでヨガを伝えていることが誰にもわからないかも知れません。

 

わたし自身のエネルギーと相談しながら、ただできることをやればいい……そう思って活動を継続してきました。

 

しかし、歳を重ねていくうちに、未来のためにヨーガの教えを誰かにシェアしておくことの大切さを考えるようになりました。

 

わたしだけが何もかもを一手に引き受ける気持ちも体力もありませんが、コミュニティにヨーガを伝える人がひとりでも多ければ、その輪が拡がって、つながり合って、世界の平和に貢献できるでしょう。

 

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今はSNSの時代で、わたしたちはついついフォロワー数の多い、自ら「活動家」と名乗る人に憧れたりします。強い言葉に刺激を受け、ついつい自分も!と参戦したくなりますね。

 

けれども、大き過ぎたり、膨れ上がることはあまり良いことではありません。大き過ぎると細やかさに欠け、自分自身を見失いがちになります。数の大きさや見た目の輝きの下にあるものが真実かどうかを見極めるクールさは大切です。

 

社会的に無名でも、日々繰り返される自分の仕事に対し、静かな誇りを持っているひとをわたしは尊敬します。そういうひとが本当の意味での活動家です。

 

わたしはそういうこともヨーガから教わりました。自分自身の平和がなんであるかを知り、ひとりを大切にすることの尊さを知っている友だちと地球のうえでワンチームでいたい、というのが願いです。

 

もし、このカタツムリの扉をひらいてくれたあなたが、自分の中に本当の平和を見つけたかったり、ヨーガの良さをまわりの人たちにシェアしたくなったら、ぜひ指導者養成講座を受けてみてくださいね。

 

わたしは心からあなたを歓迎し、友だちとして、本当のヨーガをお伝えします。

 

 

2021.8.18

 

*講座を受けて卒業して下さったみなさんへ

あなたの探究の旅を信じてくださいね。活動をしていてもしていなくても、なによりいちばん大切なのはあなた自身の平和を愛することです。心を込めて。

 

 

 

 

「夏休み 2021 」

 

 

唯一のお出かけが生野銀山でした。

 

「澄んだ川にいきたい」というわたしのリクエストにオットーが応えてくれました。

 

川べりに行くと、石っころをそぅっとよけて、沢蟹がいないか探してしまいます。

 

幼い頃、亡き父とよくそうしたものです。

 

ヨガをするようになって、父はわたしの中に生き続けていると思えるようになりました。

 

だから、わたしがこうして遊んでいるとき、父も遊んでいるのです。

 

2021.夏

 

 

 

「Yama Niyama」

 

 

あたらしい友だちから、すてきな贈り物を頂戴しました。

 

そのとき「ヨガの先生はみんなこういうことを勉強しているのですか」と彼女が尋ねてくれました。

 

「みんな必ずってことはないと思う。でも、ヨガに触れていると、自然に知ることにはなるかな」

 

わたしはそんな風に答えました。

 

「ヤマ・ニヤマって何?」と、もしわたしが尋ねられたら

 

「わたしたちが生きていく上で守りたい実践の教え」と説明します。Yamaは「してはいけないこと」Niyamaは「勧められること」です。

 

Yama:

ahimsa(非暴力)satya(正直)asteya(不盗) brahmacarya(禁欲) aparigrahah(不貪)

 

Niyama:

sauca(清浄)santosa(知足) tapah (善行)svadhyaya(読誦) isvarapranidhanani(献身)

 

*ここでは「小さな本」の山中のり子さんのことばのまま記載します。

 

このように、実践の教えひとつひとつ言葉が与えられているので、それらは区切られたもののように感じますが、結局はどれもが繋がっています。

 

わたしたちが日常の中で大切なことを意識するには、小さな本をはじめ他の書物もわたしたちを支えてくれるありがたい存在です。

 

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また、この世のなかには、ヨガではないものを通して(例えば、職や暮らしなどを通して)自然にヤマ・ニヤマと同じことを実践している人もたくさんいらっしゃいます。

 

日本では昔から「お天道さまの下を堂々と歩けるように」という表現が聞かれますね。人生紆余曲折あっても、目の前のことに丁寧に向き合って生きていれば、ヤマ・ニヤマは自然に履行されてゆくのではないかしら。

 

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この小さな本のいちばん最後の頁にある「イーシュヴァラ プラニダーナ」を紹介します。

山中のり子さんはこんな風に言葉にしておられます。

 

 

ヒトツ ニ ナル

イーシュヴァラ プラニダーナ(献身)

 

自然の大きさに身をゆだねる。

 

自然のなかで謙虚に

 

ちいさな自分自身を手放して

 

おこなったことの結果も手放す。

 

まわりとの境界をなくし

 

ひとつになる。

 

* みやもり なな さん  の絵が わたしたちがヤマ・ニヤマを理解することをそっと手助けしてくれるようです。

 

ヨガの教えを学ぶ人は、最初のころは一生懸命に、これらひとつひとつを理解するべく頭だけで考えがちです。そういう時期も大切です。わたし自身もそうでした。

 

けれども、このイーシュヴァラ プラニダーナは頭だけで理解することはたいへんむずかしいのです。ですから、わたしたちはヨガという身体を使った実践を通して、何度も何度もわたしたち自身のいのちの扉をノックし、身体とこころのひだに分け入るように親密に関わって、自分という小宇宙に溶け合おうとするのです。

 

そうして、みなそれぞれのプロセスを歩みながら、最終的に「ヒトツニナル」ことがどういうことなのかを身をもって体験し、理解するのです。

 

言葉にするのはむずかしいですね。けれども、言葉にしないと相手に伝わらない。

 

だから、言葉にするのは勇気あることです。

 

この小さな本を創られた山中のり子さんに敬意を贈ります。心を込めて。

 

 

2021.8.16

 

 

 

 

「わたしの先生」

 

 

カマーラフールの主の背中側の棚に、彼女が大切にしているものが並んでいます。

 

世界でいちばん貧しい大統領のスピーチの本。

 

アメリカの最高裁判事ルース・ベイダー・キングバーズのドキュメンタリーDVD。

 

そこに、わたしの先生であるJames BrownのDVDが加えられていることに、ある日気づきました。

 

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主であるマガラさんはしばらくの間、わたしからヨガを習ってくれました。しかし、お店があるためクラスには参加できないので、自分なりにヨガをしておられます。わたしの先生のプラクティスを参考にするだけでなく、お気に入りの棚に加えてもらえたことはとても嬉しいことでした。なぜなら、彼女は尊敬する人、愛すべき人のものをそばに置くことで自分自身の中に意識づけをしていることを知っているからです。

 

あれと思ったものの、すぐには何も言わずにいましたが、カマーラフールに行くたびに、まるでほんとうにそこに先生がいてくれているような気持ちがしました。

 

あるとき、その気持ちを彼女に伝えましたら、「わたし、この先生なんとなく好きです。なんというか、とても謙虚な感じを受けるの」と言ってくれたのです。

 

直接先生に会ったわけでもないのに、彼の立ち居振る舞いから「謙虚」という言葉が浮かんでいたことに、わたしは更に嬉しくなりました。なぜなら、先生はほんとうに謙虚なひとだからです。それが自然に伝わるのは「真(まこと)の力」があるからこそ。

 

先生は謙虚であり、ひととしてキュートなところがあり、ものの考え方がとても現実的な方です。

 

わたしがそう言うと、「現実的って大切よね」と主がまた共感してくれました。

 

心身の健やかさを守るために、自ら努めることは誰にとっても大切なことです。でも、実際にはそうしたくてもそうさせてもらえない出来事が人生には起こります。そんなとき、「こうあるべき」理想を自分に厳しく突きつけるより、あるがままの「今」の自分に現実的に合わせてヨガをすること、そしてそれがもたらしてくれる恩恵を知っていて、伝えてくれる先生なのです。

 

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たいして英語を話せないわたしがどうしてこんな風に彼を先生と思えるのかについては、もうひとりの先生のおかげがあります。川原朋子さんというヨガの先生が通訳者としてずっと丁寧に生徒たちに寄り添い、繊細な言葉選びをして下さったからこそ、わたしはJ先生の考えを理解できたのです。それから、彼のちょっとした態度、眼には見えないエネルギー、クラスの後訪れる心の静けさがわたしにはとても響いたのでした。

 

「直子とはおなじ音楽を奏でているようだ」と先生が言ってくれた時、ほんとうにその通りだと思いました。

 

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「人生のなかで、稀にそんな方に出会える人っているみたいね。幸せね」とマガラさん。

 

はい、そう思います。ほんとうに。

 

 

2021.8.13

 

 

 

 

「人生の一頁をご一緒に」  

 

 

わたしがヨガを伝えるようになって10年ほどが経ちます。この間ずっと自己探究の旅を続けてきましたが、そのときどきに必要な先生との出会いがあり、指導を受けてきました。そのおひとりおひとりのお顔をしっかりと思い出せますし、彼らとの対話やエピソードも心に残っています。熱意と勇気のある先生方に出会うことができたことは真の財産です。

 

出会いがあれば、必ず別れがあるもの。駆け出しの頃はそのときお世話になっている先生のもとを去ることに抵抗があったり、自分なりの理由が必要でした。すっと立ち去ることができずに、不器用にふるまってしまった苦い経験もあります。けれども、わたしの先生方はわたしを囲い込んだりせずに、わたしの失礼さえも許してくれ、そっと手放してくれる方々ばかりであったことに、最近になって改めて感謝をするようになりました。

 

ヨガとは自分の人生を自らの足で歩いていけるようにさせてくれるもの。だからこそ、ヨガの先生は学びを惜しみなく手渡した後は、生徒の本来持っている力を信じて幸せを祈るだけなのだと思います。

 

わたしのもとを去って行かれた人たちも何人もいらっしゃいますが、相性もあったり、わたしの力を必要としなくなったり、自分に必要なことを学びに、新しい探究の旅に出発される人もいたりでそのどれもが尊重されるべきだと考えています。

 

今頃どうしているかしらと誰かのことを思い出すことはもちろんあります。しかし、以前のように、さようならを悲しむことはなくなりました。ヨガを学ぶとこの世はワンネスだと知るからかもしれません。そう、わたしたちは同じところから生れて、同じところに還っていく仲間なのです。どのかたにも幸せを祈って、わたしは改めるべきところは改めて、これからも自分の道を進むよりほかありません。

 

きっと、わたしの先生方もそうして同じようにわたしを送り出して下さったのだと今はわかります。

 

最近、すべての方々に心からこう思うのです。

 

人生の一頁をご一緒させて頂いてありがとう、と。

 

 

2021.8.8 新月の日に

 

 

 

 

「どう生きていくか」

 

 

今、すべての人々が渦中の人。

 

数年前の暮らしをいくら想ってみても、「今まで通り」を通しにくい世の中になってしまいました。

 

どんなひとでもこの度ばかりは何らか自分なりに考える機会を持ったのではないかしら。

 

情報に耳を傾けたり、まわりの人たちと意見交換したり、政府の方針に協力したりするなかで、わたしたちは皆それぞれに考え、現在を迎えているでしょう。

 

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わたしもヨガを伝えていく上で、「今まで通り」にはいかない経験をしています。

 

そのなかで、自分自身の考えを押し通すだけではなく、活動の場を与えてくださる方々や実際にクラスに参加して下さる方々の考えに耳を傾け、どうすれば皆で調和しながら場を保っていけるか調整し続けています。

 

例えば、毎年開催している「夕暮れ 気まぐれ 海のヨガ」を例に挙げると、本来海は誰のものでもなく、誰かに許可をもらわなくても自由に集ったり、楽しんでも良いものだとわたしは考えています。

 

けれども、現代社会では何人か集まると「イベント」となり、「開催許可」が必要です。コロナ渦の現在は、クラスターが発生した場合を想定して、開催者は「参加者名簿」を作成・保管しておかなければなりません。

 

このプロセスを経てでも海ヨガを開催するのは、これまで以上に開催することの意味を感じているからです。

 

ここでの体験が、参加者の皆さんに「どう生きていくか」を感じ直す機会になりますように。

 

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この写真を見た人の中には、「海辺でマスク必要?」と思う人と、「それぐらいして当たり前」と思う人がいるでしょう。

 

わたし自身の考え方として、この世界はわたしひとりのものではないという考えを基に「せめて今自分にできることを」という他者への思いやりエチケットとして、マスク着用・ソーシャルディスタンスをお願いしています。

 

「マスクの下は笑顔でね」というわたしの言葉に応えてくれてのこの一枚。手の振りでもちゃんと笑顔が伝わってきます。

 

 

「やっぱり海はいいなー!」

 

「一回娘を連れてきたかってん。一緒に来られてよかったわ」

 

「迷っていたんですけど、両親もワクチンを受け終わったし、今回はどうしても自分のために参加したいと思って」

 

 

皆さんそれぞれの現状を受け入れてのご参加、とてもありがたかったです。

 

夕暮の海辺はちょっと肌寒いから入浴剤をプレゼント。おうちに帰ってからお風呂に入ってほっこりしてくださいね。

 

今日のメッセージは

 

「根を詰めすぎずに、風通しの良い心で」

 

 

2021.7.31

 

 

 

 

「あなただからできることがある」

 

 

本日、朝霧カタツムリYogaから、あたらしい先生が誕生しました。

 

彼女の名前はよっちゃん。

 

彼女と出会ったのは今から9年ほど前。私たちは、あるスタジオの先生と生徒の関係でした。

 

わたしのヨガクラスやワークショップに来て下さるうちに、一緒にお茶をしたりご飯を食べる友だちになっていきました。

 

わたしがどこかに所属するのをやめて、プライベートクラスを持つようになると、彼女もわが家へ自然に通ってくれるようになりました。

 

ヨガの芯(心)を充分に理解している彼女に「伝える側でもおかしくないけどね」と話したら、本人もそのことを考えたことがある様子でした。

 

けれども、それよりもそのとき彼女の人生には様々なことが起きていて、まず自分の暮らしのために働くことが最優先であったことや、ヨガの先生になるよりもまずヨガで自分自身を癒したり、勇気づけたり、バランスをとったりすることでいっぱいいっぱいだったのです。彼女の意志とはうらはらに、伝える側としての学びは遠く離れてしまう現実がありました。

 

けれども、なにもかも停滞しているわけではありませんでした。なぜなら、彼女はずっと自分のヨガを実践していて、自分のヨガが現実の人生にどう役立つのかを理解することになったからです。

 

つかず離れずの距離の中、しばらく月日が流れて、彼女はまたわたしのもとへ戻ってこられました。

 

わたしがいつも思うのは「本人の意思」が何よりも大切だということ。

 

彼女の意志を聞いてから、今日この日まで学びのリズムが崩れることはありませんでした。

 

修了書を手渡し、せめてものお祝いにココナッツカレーとサラダを作って一緒に食べてもらいました。

 

今までのように、楽しくおしゃべりをして別れる間際、「(これまで)どうでしたか」と尋ねたら、彼女は答えようとして、胸にこみあげてくるものを感じて涙を見せました。それは、今までの彼女のがんばりすべてを表していました。

 

「 一言では言い表せません。感慨深いです。以前の私なら年齢で諦めていたかも知れません。でも一歩前に足を進めて良かった......

肩は痛くて上がらないし、これからだっていろんなことが起きるんだろうと思います。でも、今の私はこれからが楽しみです。未来に対して不安や諦めだけを抱くのではなく、自分次第で生きる望みを持ち、わくわくできることをここで教わりました。自分のヨガだけは手放さず大切にしたいです。そして、まわりの人たちにヨガの良さを伝えていきます」

 

普段はもっとラフに話すけれど、大切なことはわたしに敬意を払って、言葉を丁寧に使ってくれるのも彼女らしいところでした。

 

「わたしたちは確かに若くはないけれど、人生のなんやかんやを乗り越えてきたひとがヨガの先生をすることは、世の中にとっても必要なことやと思う。わたしたちだからこそできることがある。だから、楽しくがんばっていこうね。おばあちゃんになるまで笑」

 

彼女は休日にまわりのひとにヨガを伝えていくつもりだそうです。遠回りしても自分の道を丁寧に歩いてきたひとです。さっぱりとしてさりげなく優しい彼女のヨガをぜひ受けてみてくださいね。

 

2021.7.29

 

 

 

 

「心構えは要りますか」あるかたの質問より

 

 

ヨガクラスのあと、「なにかご質問はないですか」と尋ねたら

 

「ヨガをするうえで、心構えとしていることはありますか」と言葉が返ってきました。

 

初対面のそのかたがとても真面目なひとであることは、やり取りをしているうちにすぐにわかりましたが、この真摯な質問にわたしの心の奥のほうがすうっと立ち上がった感覚が起きました。(*大切な場面で働くわたしの感覚です)

 

わたしの答えとしては「心構えは必要ありません」。むしろ、気楽にやってみることをおすすめします。

 

そのときは、心構えというよりも、「なぜわたしがヨガをしているのか」をお話しして答えの代わりとしました。

 

わたしたちはひとりでは生きていけません。必ずまわりの人々と関わりながら日々を暮らします。この人生を生きていく上でわたしたちは様々な経験をしますが、そのなかで自分の平和を保つことはなかなか難しいのです。

 

わたしがヨガをするのは、今自分自身を取り囲んでいるすべての事象はそのままに、まずは自分自身と対話の時間を設けるためです。そうすると、ものごとに対し近目になりすぎた自分をリセットして、あるがままを落ち着いた気持ちで観ることができるからです。

 

わたしはすべてのトラブルを乗り越えられるスーパーウーマンなんかではなく、ごくごく普通のひとなのです。

 

大変なことが起きても、自分のヨガを通して自分自身と対話をし、バランスを立て直し、ものごととの折り合いをつけ、平和を取り戻し、イライラを大切な人にそのまんまぶつけたり、相手や自分を傷つけずに平和的に解決できないかなと探っているのです。

 

そして、わたし自身がヨガをしている理由がもうひとつあります。

 

まわりに思いやりを渡すのと同じように、わたし自身にも思いやりを渡すため。

 

その昔、わたしは自分自身をゼロにして、どれだけ人に対して思いやりを渡せるかを美徳としているところがあったのです。しかし、そんな方法は破綻します。無理があるのです。それは自分勝手な愛であったと今になって思います。

 

そのことを教えてくれたのが、J.Brown先生でした。

 

「直子、思いやりの輪に自分のことも入れてあげなきゃ」と。

 

それからのわたしのヨガはわたしのためのものになりました。でもそのほうがずっと、大切に想う人へ愛を渡せるということも実感できました。

 

あなたのヨガをしましょう。あなたと付き合うことに心構えは要りません。ただ素直にあなたといういのちの中に飛び込んでいけばいいのです。

 

 

2021.7.18

 写真:オクラの森から見る青空

 

 

 

 

「井戸端会議のススメ」

ひとのなかで生きることを 持続可能なこととして

 

 

井戸端会議って大切やと思いませんか。

 

と、今書き始めて「井戸端会議」って言葉が現代社会に通じるのかしらと思いました笑

 

井戸端会議とはその名の通り、そのむかし井戸に水を汲みに来た人たちの間で交わされた世間話のこと。

 

わたし自身も蛇口をひねれば水が出るという文化のもとで育ちましたから、井戸自体のことはさておき、井戸のまわりで交わされたような何気ない日常会話に焦点を当てたいと思います。

 

井戸端会議、減りましたね。ウィルスがそれを加速させたかしら。

 

でもね、ひととひとが顔を合わせて直接話すことはとても大切。だって、人間も生き物ですよ。忘れているかもしれないけれど。

 

自分の意志で身体をある場所へ運び、その場に関わり、自分の眼と相手の眼を合わせ、相手の声を自分の耳で受け取り、相手の言葉と自分の心にあるものとが合うか合わないかを察知したり、その場に起きる空気感を自分の肌で感じて思案し、次の選択や行動を決めることを絶対にしているのです。

 

現代は手元のスマホで相手と会わずにやり取りできますし、それで済ませたりもできます。移動距離もなく、時間も有効に使えるのかもしれませんが、伝わらない部分も多く誤解を生んだり、相手を傷つけてしまうこともあります。関係を閉ざそうと思えば閉ざすことも、切りたければ切ることもできます。アプリごと関係を消してしまうこともできます。

 

ひょっとしたら、井戸端会議もSNSも、人付き合いそのものが現代人にとっては面倒くさいものになっているのかも知れません。誰だって、傷つきたくないし、煩わしいことに翻弄されたくありませんものね。

 

けれど、それでいいのかなって思っている人もこの世にはたくさんいると思います。

 

人付き合いには面倒くさいことも確かにあるけれど、それ以上に、ひとをひととして成長させる大切な要素が詰まっています。目障り、耳障りなことに心が曇ることがあるかもしれないけれど、誰かに勇気づけられたり、癒されたりする経験も受け取りながら、自分の立ち位置・振る舞いを考え直したりして、魂の成長をすることができるのではないでしょうか。

 

「忙しい」「ゆとりがない」と口にしているあなたへ。たまには立ち止まって、井戸端会議をしましょう。無駄に思える時間やよもやま話のなかに、優しく強くしなやかに生きるためのヒントがたくさん詰まっています。

 

お互いをゆるし、認め合いながら、生きる練習をさせてもらうのです。

 

 

2021.7.14

写真: 畑端会議

 

 

 

 

「育むこと」

 

 

小さなヨガのひとは、「育む」ということを知っているようです。

 

生まれてきて、まわりのひとからたくさんの愛をもらっているし、まだ幼くお母さんの命の中で自分自身が育まれた感覚をほやほやに知っているからです。

 

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もし、大人であるあなたが「育まれた感覚」と聞いて、ぴんとこなくても、思い出せなくても、現実に今ここにいるあなた自身への愛を自分の手で育んでみませんか。

 

「育む」ことは、時間やエネルギーを要するかも知れません。その過程の中で、辛いことを思い出し、涙することもあるかも知れません。

 

奥深くに隠れていた傷にあらためて気づいたとしても、深呼吸しながら、自分自身にじっくりと向き合って、その傷を癒してあげることも悪くはありませんよ。

 

自分自身の中に不器用さを感じたり、イライラすることもあるかも知れないけれど、幼子を見るように長い目で見て、我儘を許してあげて、沈む心が浮かび上がってこられる時を待ってあげて、そのまんまの自分を愛してあげましょう。

 

それって、自分をただ甘やかすだけにならない? そう思うかも知れませんね。

 

そのために、ヨガやアーユルヴェーダの実践があります。本当の自分に付き合うことは根気が要ることです。でも、もしあなたが自分のための真の幸せを望んでいるのなら、きっと大丈夫。

 

いっしょに練習しましょう。

 

2021.7.8

 

 

 

 

 1930円(いくみおーえん)募金」

明石市在住・山本育海さんを通して、京都大学iPS細胞研究所を支援しています

 

 

明石市在住の山本育海さんは、わたしの息子たちと歳の変わらない一人の青年です。

 

彼のことはなんとなく知っているという感じでした。「いつか彼のことを知ろうとしてみよう」そんな風に思ってはいたものの、行動が伴っていませんでした。

 

けれども、コロナ禍でいろいろなことを改めて考える機会が訪れ、朝霧カタツムリYogaとして何か社会に還元できないかと思ったとき、ずっと頭の片隅にあった育海さんのことを知ってみようと動き始めたのでした。

 

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彼は1997年生まれの23歳。8歳の時に筋肉の中に骨ができる難病「進行性骨化性線維異形成症(FOP)」と診断されました。身体が何かに当たったり、怪我をしてしまうと、どんどん新しい骨ができて悪化する可能性があるので、いろいろなことを我慢しながら学校生活を送ったそうです。友だちと外で遊ぶこともできなかったそうですが、これは子どもにとってとても辛いことだったでしょう。現在も治療法がなく、想像もできないような激しい痛みと闘いながら、生活を送っているそうです。

 

育海さんは2010年、京都大学iPS細胞研究所に皮膚細胞を提供しました。皮膚を採取することで進行が進む恐れもあったそうですが、この病の治療法を見つけてほしいという一心からとのこと。

 

これまでに、自分だけではなく様々な病気と闘う人たちと出会ってきた育海さんは、患者の立場でありながらも「FOPだけではなく、すべての難病で苦しむ人をなくしたい」と高校3年生の時に193募金を始めました。

 

彼のブログにはこうありました。

http://fop-akashi.jp/

 

これは「山本育海本人のための募金ではありません」「すべての難病に苦しむひとをなくしたい」と。集まった募金は全額、京都大学iPS細胞研究所に寄付しているそうです。

 

自分自身が難病で苦しんでいるのに、他の人たちのことまで考えて行動する彼の活動に、彼が卒業した明石商業高等学校だけではなく、今では明石市内の高校から阪神間の別の高校にまで、その輪が広がっているそうです。

 

知れば知るほど、子どもたちの純真さと素直な行動力に、大人であるわたしが恥ずかしくなりました。

 

今はコロナ禍で、今までのように活動するのが難しく大変なのだそうです。なぜなら、いくら工夫をして気を付けて募金活動をしたとしても、人通りが以前より少なくなっているからです。それに、ひょっとしたら、社会全体にひとを思いやるゆとりがなくなりつつあるのかもしれないなあと個人的に思いました。

 

研究のスピードより彼の進行のスピードのほうが速いといいます。免疫もほとんどない状態だといいます。自ら長年の痛みや苦しみに耐えながらも、全体のために行動し続ける育海さんといっしょにiPS細胞研究所を支援しようとわたしは思いました。

 

明石市内外のお店にもFOP募金の箱が置いてあったり、いっくん応援自販機(飲み物売り上げの一部が寄付されます)を設置しているお店があります。もし見かけたら、ぜひご協力をお願いします。

 

朝霧カタツムリYogaではみなさんから頂いた活動費の一部を支援金に充てています。

 

振込先 神戸信用金庫 魚住支店

口座番号0091286

口座名義 エフオーピーアカシ

山本育海さんブログ http://fop-akashi.jp/

 

 

(募金は全額京都大学iPS細胞研究所に寄付されます)

 

2021.7.7  

育海さんと応援する人たちの想いがいつか叶いますように。

 

 

 

 

ふだんがわたしたちを創る」

 

 

トマトを育てるとき、トマトの性質を知ろうとしなければ美味しい実はできません。

 

本やネットの情報ももちろん役に立つけれど、それだけではなく、わたしといういのちの感覚を整えておくと、ちょっとしたトマトのメッセージにも気づくことができるようになります。

 

「あれ? おかしいな」という感じがしたとき、自分の心の癖が出てしまい、面倒くさくなってハテナ信号を無視したり、エイヤーッとと投げやりな対応をしていると、やっぱりその通りが結果になって返ってきます。

 

でも、そこで立ち止まって深呼吸をし、ちょっと工夫をしてみるとか、今できることだけでもやってみるなどして、丁寧に向き合うと必ずなんらかの答えが導き出されます。

 

こういう態度は、どんなことにも当てはまりますね。

 

ヨガやアーユルヴェーダの実践をしていると、同じように自分の心の癖に気づいたり、自分の都合の良いように解釈して済ませようとしている自分に出くわしたりします。

 

けれども、気づいたあとに取る選択・行動によって、わたしたちの魂はひとつ成長を遂げることができます。

 

なんでも結果はすぐには出ないものです。ただヨガのクラスを受けてスッキリした!というだけでは、わたしたちは成長できません。

 

ヨガのクラスで知ったことをみなさん自身に役立ててくださいね。

 

結局はふだんが大事。ふだんがわたしたちを創るのです。

 

 

2021,7.5

  

 

 

 

「生まれてきてくれてありがとう」

 

 

今年の誕生日は、信じられないほどたくさんの方々に祝って頂きました。

 

みなさんの表現のひとつひとつが、「わたしとあなたの時間」の積み重ねやエネルギーの交換そのものを物語っていました。

 

ほんとうに胸に染み渡りました。みなさんとのご縁に心から感謝申し上げます。ありがとうございます。まだしばらく、そのひとつひとつを噛みしめる時間をゆっくり設けたいと思っています。

 

そして、誕生日は祝ってもらうだけではなく、このいのちをからだの中で育み、この世に生み出してくれた父と母に感謝を捧げる日でもあります。

 

わたしはヨガに出会ってから、少しずつそんな風に思うようになれたし、言葉にして伝えられるようになっていきました。

 

「産んでくれてありがとう」と。

 

しかしながら、世の中には、親子の関係性に苦しむ人がいることもわたしは知っています。世の中のすべての人が絵に描いたような家族像であるわけがありませんし、わたし自身にも今こう思えるに至るまでのプロセスがあります。

 

けれども、もしよかったら、自分の胸の内でそっと呟いてみてください。自分のために。

 

「生まれてきてくれてありがとう」と。

 

自分のなかでかたくなってしまったものが、すこしばかり緩むかもしれません。もちろん、やってみるのも、やらないのも自由です。

 

いつでも人生の主人公はあなたなのですから。

 

 

2021.6.26

 

 

 

夕暮れ 気まぐれ 海のヨガ 2021.6.26


毎年あたりまえに楽しんでこられたものを、そうさせてもらえないことが多くなりましたね。

 

けれども、今私たちに起きていることは、全世界の人たちに共通して与えられている出来事で、今まで持っていた価値観をわが身に寄せて、あらためて考えさせられるきっかけになっていると思います。

 

 

まわりの人たちへの配慮を忘れずに、いつもの海ヨガを開催できないか考える時間を持てたことは、深い学びになりました。

 

 

目を見て話せることは、やっぱり素晴らしいことでした。

 

裸足になって砂浜を掴むように立ち、両手で大空に手を伸ばすことは、やっぱり感動的なことでした。

 

吸うときに身体を広げ、吐くときに身体を折りたたんで、身体全体を使って深い呼吸をしました。

 

 

わたしは全身全霊を込めて、みなさんに語りかけます。

 

「みなさんのなかには古からずっとずっと受け継がれたいのちの紡ぎが存在しています。

 

お父さん、お母さん(関係性は別として)おじいさん、おばあさん、さらにもっと昔へ遡るとたくさんのいのちが存在し、それらがすべてみなさんのなかに注がれているのです。

 

 

ヨガとはいのちの活動に自ら積極的に参加をすることですし、いのちのことを理解することを手助けしてくれます」

 

 

「あなたといういのちは誰も代わりをすることができません。あなたがあなた自身を生きることが使命なんです」

 

ヨガの先生はこの世にたくさん存在するけれど、本当のヨガはそういうものだと伝えるために、わたしは此処にいます。

 

次の海ヨガは7月の終わりに。またお知らせしますね。

 

 

海ヨガ エピソード♡ 

 

毎年参加して下さるファミリーのお嬢さん。いつもおわりのティンシャは彼女に任せています。

 

みんなが砂浜に背中を預けている間、わたしたちはマットに並んで座り、ちょっとおしゃべりをします。幼稚園に行っていた頃は絵本を

読んであげたっけな。もうだいぶんお姉さんになったね。これからも友だちでいてほしいなあ。

 

 

2021.6.26

 

 

 

 

「げっけいのはなし いのちのはなし」

 

 

何回かヨガクラスに参加してくださったかたが、とても素敵な絵本を出版されました。

 

彼女の名前は大石真那さん。

 

四人のお子さんのお母さんであり、この春まで保健士さんとして働いておられました。

 

彼女と偶然再会したのは、お正月に氏神さまに初詣に行った際。そのとき、彼女から「春には仕事を辞めて、今まで温めてきた性教育を

拡める活動を主体にやっていく」という心の内を聞かせてもらっていました。

 

・・・・・・

 

性教育というワードを聞いた時、みなさんは率直にどんな印象を持つでしょう。

 

私自身の経験では、小学校高学年の頃、女子だけが男子とは別室に集められて先生から教わった記憶しかありません。それも多分一時間ぐらいのこと。

 

時代は移り変わり、「生理」の伝えられ方は更新され、昔よりオープンになったかも知れません。

 

しかし、私たちの「いのち」のこととして、本質的な意味合いで伝えられているかといえば懐疑的です。

 

保健の授業などで、学校教育のカリキュラムの一部として、「性教育」に触れる機会はあるのでしょうが、「いのちのはなし」としてごく自然に話し合われることはないのだろうと想像します。

 

そして、「性教育」は日本ではまだまだ隠微であり、私たちの身近な話題として日常的に取り上げられていません。

 

ところが一方で、私たちの暮らしはインターネットの玉石混淆の情報にいつも囲まれており、子どもたちに本当に知ってもらいたい「いのちのはなし」に触れる機会がないことが現実のような気がします。

 

 

この絵本の中にこんな表現があります。

 

「どのこも みんな おかあさんに げっけいがあったからうまれてきたの。げっけいは いのちをつなぐ、たいせつなものなんだよ」

 

・・・・・・

 

私たち大人の責任は「あなたはこうして生まれてきたんだよ」と子どもたちに伝えることです。ネット任せではなく、私たち自身の手で。

 

そして、私たち自身も「すべての人たちはこうして生まれてきたんだよ。わたしもあなたも」と感じ直すことも必要です。

 

 

この絵本は、今ここに生きている私たちが間違いなく通ってきたプロセスを感じる一冊です。

 

この絵本の締めくくりは、子供を産む・産まないという限定的な話にとどまらず、すべての人の選択や生き方を認めようというメッセージが込められています。

 

親子さんだけではなく、すべての方に読んで頂きたい内容です。

 

朝霧カタツムリYogaでも読んで頂けるよう置いてあります。お声掛けくださいね。

 

 

・・・・・・

 

大石真那さんはこの絵本を全国の保育園・幼稚園・小学校などに届けられるように活動しています。

 

・子どもたちの周りにはたくさんの情報があふれている

・日本の性教育には様々な歯止めがある

・性犯罪から身を守るために

・からだのケア

・幼いうちから自然な感覚で生理のことを知るために

 

こういった観点から、おはなし会や情報発信もされています。

 

* 朝霧カタツムリYogaの活動費の一部を大石真那さんの活動支援に充てさせて頂きました。

 

もし、ご興味のある方はreadyfor.jp/projects/ehon-gekkei まで 

絵本はAmazonでも購入できますよ。

 

ご家族で読むと会話の糸口になりますし、ヨガ的には「自分のルーツを感じる」お勧めの一冊です。

 

 

2021.6.7

 

 

 

SDGs

 

いつまでも すべてのひとに やさしいまち でありますように


写真にお世話になっている大好きな女性が写っています。自然農法をはじめたばかりのわたしにとっちゃ大センパイでございます。

 

そして はてさてSDGsとはなんぞや?というひと まだまだ多いのではないでしょうか。かくいうわたしもSDGsはあまりに

包括的でひと言では説明がむずかしい。。。

 

ぼちぼちとこの場に書いていきますね。

 

朝霧カタツムリが取り組みたいことは活動Menuのなかで触れております。よかったら、ぜひのぞいてみてください。

 

わたしに そしてあなたにできることってなんだろう。みんなで考えていきましょう。

 

 

2021.5.20

 

 

 

 

「あなたとわたし」

 

 

正しさの基準は驚くほど、ひとそれぞれです。自分の「正しい」を信じすぎることは、ひとと一緒に生きていくうえで弊害にさえなってしまいます。

 

今はほんとうに大変なとき。みんながんばっているし、気を遣っているし、混乱しているし、疲れています。

 

* 誰かと自分との間に、考えや選択の違いがあることに気づいたとしても、今はみんなも迷いながら生き方を模索中なんだと思い直してみませんか。

 

* 自分の視点を定め過ぎずに、いろんな角度からものごとを観てみることも大切です。自分の視野の狭さや偏りに気づくかも知れません。

 

一日のうちほんの少しだけ立ち止まり、呼吸をして、バランスを取り直してみましょう。

 

誰だって幸せを感じたいこころはおなじ。あなたもわたしも。

 

 

2021.5.5 

 

 

 

 

「ワンピース」

 

 

パズルをいただきました。

 

小さな小さなピースはいろんな動物をかたどっていました。

 

それらを合わせると、いっぴきのカタツムリになります。

 

ワンピース足りなかったのもなんかいい。

現代のヨガには

 

わたしたちの生命の感覚を育む要素が失われてしまい、「売られている商品のひとつ」のようになってしまいました。

 

わたしは、先生から「その失われたピースを取り戻し、本来のヨガにしましょう」と教わりました。

 

・・・・・・

 

講座のテキストは確かにわたしたちに安心感をもたらしてくれますが、わたしたちはいつも有形無形すべてのものから教わることができます。

 

そして、すべての生命は平等で初心者も上級者もありません。

 

指導者はあなたの友人であり、上がらなくてもよい階段を上がらせるボスではありません。

 

・・・・・・

 

ヨガやアーユルヴェーダは

 

たくさんの情報であなたを混乱させたり、今の自分は何かが足りていないんじゃないかと思わせるものではなく、あなたがあなたを心地良く生きられるように手助けしてくれるものなんです。

 

・・・・・・

 

きらびやかでファッショナブルなものに、遅れないようについていかなければならないものではなく

 

たったひとりで自分の部屋にいても、満ち足りていて、自分とも世界ともつながっていることを知っている状態がしあわせ。

 

ワンピースを見つけて、そもそもの完全なあなたを感じられますように。

 

わたしはいつでも此処にいます。

 

 

2021.4.26 

 

 

 

 

「生まれ持ったもの」

 

 

わたしたちは骨格や、髪質や肌質、歯並びとおなじように、こころにも持って生まれた性質があります。

 

自分自身を否定するよりも、わたしたち自身とうまく付き合えるようにヨガやアーユルヴェーダの知恵を味方につけたいですね。

 

2021.4.17

 

 

 

 

「いのちの設計図」

 

 

庭のタンポポが種を風に預けようとしています。

 

こうして観察すると、タンポポにはタンポポのいのちの設計図がちゃんと在るのがわかります。

 

この姿は完全に満たされたカタチ。

それはわたしたちもおんなじなんですよ。

 

タンポポのまんまる。美しいですね。

 

わたしたちが花や月や海を見て、美しいと感じられるのは、わたしたち自身も自然であり、いのちの美しさがあるからこそ響き合えるのです。

 

わたしはそんな風に先生から教わりました。

 

人生にはまったく嫌になるぐらいいろんなことが起きて、こころがめげそうになることだってあるけれど

 

ささやかに自分の暮らしの中でヨガの時間をもって、自分の真ん中に戻ってひと息つけるとき

 

ああ、ヨガの知恵を知っていてよかったなあと思います。

 

自分のおうちで自分のために練習できるのなら、ほんとうにそれは何よりです。

 

世の中はこんな状況です。みんなたいへん。ほんとうにおつかれさまです。

 

ゼロじゃなければいい。自分に優しくしてあげてくださいね。

 

 

2021.4.15

 

 

 

 

「役割」

 

 

ヨガやアーユルヴェーダを学ぶと「ダルマ」という言葉に出逢います。

 

ここではみなさんにわかりやすく「役割」という言葉に置き換えて話をしましょう。

 

この世に存在するものにはみな役割があります。

 

わたしたちは人生というステージを生きていく上で、家族、地域社会、学校、職場などの一員として存在しています。そして、自分が属する輪の中で役割を与えられたり、自らも必要性を感じたりして、その勤めを果たそうとします。

 

ただ、「ダルマ」に自分自身の喜びを伴って、行為を行えるかどうかが大切なポイントです。

 

誰かから与えられた仕事を義務感に苛まれながらこなしたり、自分の感情を押し殺して役割を果たすということは真のダルマではありません。

 

ヨガやアーユルヴェーダでいう「ダルマ」とは、自分自身の生命とは一体何であるかを知ったうえで、「自分にしかない天分ともいうべき役割」を担っていくことにあります。

 

「天分」なんて表現すると、まるで夢を叶えた、ごく一部の人のサクセスストーリーのように感じるかもしれませんが、SNSの上位ランキングに並ぶような価値基準ではなく、他の誰でもない、あなた自身が喜びをもって行える継続性のあることなら、何でもよいのです。

 

例えばですが、赤ちゃんを産み育てることは、お母さんとしての素晴らしいダルマです。もしくは、赤ちゃんと過ごせる時間を大切にしながら、ある部分は子育てのプロに任せて自分が取り組みたい仕事に情熱を捧げることもそのひとにとってはダルマでしょう。

 

裁縫が得意で誰かのために洋服を作ることに喜びを感じたり、車の修理が三度のごはんより好きで夢中になれたり、船に乗って魚を釣り上げることを自分の仕事として生き甲斐にしている人もいます。

 

社会の一員として、わたしたちはいくつかの役割を果たしていますが、そのなかでも誰かに認められるために役割を果たすのではなく、自分自身がこの世の大きな営みの一部として機能し、喜びをもって取り組めることは天分でしょう。

 

もっと深いことをお話しするとすれば、わたしたち自身の生命の健康を守り、生きることを大切にすること自体がダルマです。わたしたちひとりひとりが大きな世界の一部。一部であるあなたを大切にすることは全体にも良い影響を及ぼすのです。

 

カタツムリ自身はわたしの生命を生き、そのなかでヨガやアーユルヴェーダをみなさんにお伝えするのがダルマだと思っています。

 

さて、あなた自身はいかがでしょう。見つかっていてもいなくても、あなた自身のおはなしを聞かせてください。ゆっくりと楽しんでお話ししましょう。

 

 

 2021.4.7. 朝霧公園の桜の下で。

 

 

 

 

「ひとつの灯りのようなもの」

 

 

ヨガの先生ってどんな存在なのかな。

 

あるひとにとっては「身体の健康法を教えてくれる人」

 

あるひとにとっては「心の在り方を示してくれる人」

 

ひとによって、ヨガの先生に対して感じることはそれぞれでしょう。

 

実際、わたし自身、目の前に座って下さる方々に合わせてヨガをお伝えてしているので、言葉も練習内容もそれぞれです。

 

(けれども、たどり着こうとする場所はおなじです)

 

わたしとしては、ただの「健康体操を教えてくれる人」にとどまらず、「心のはなしをしてくれる人」にもとどまらず、もっと包括的な意味での人生の「灯り」のような存在でありたいと活動しています。

 

そのひとにとっての「楽」は何なのかを、お互いのあいだで交わすすべてのやり取りを通して、いっしょに探していくように。

 

だから、実はこのホームページの活動Menuのなかにある「枠組み」もほんの一部にしかすぎません。

 

なぜなら、ひとというひとはみんなそれぞれだからです。実際には「枠組み」は提案の一部に過ぎず、結局はみなさんのオーダーメイドスタイルになっています。

 

実のところ、その点が非常に重要なのです。本当のヨガは100人いれば100通り。ひとりひとりの生きている人生背景はみんな違って当たり前です。

 

年齢・性別・体格・健康状態・文化的背景などを考慮し、そのひとに合った方法でなければ、そのひとの自然に逆らった状態となり、無理が生じるのです。

 

「わたしが楽になれる方法を見つけたい」「わたしの人生の花を咲かせたい」

 

そういうかたはぜひ連絡をください。その誰かさんとお会いできることを心から楽しみにしています。

 

 

2021.3.3 

 

 

 

 

「わたしのチャレンジ」

 

 

今年に入って、わたしにしかできないチャレンジをしています。

 

それは、息子たちに本当の意味での愛を渡すこと。

 

今のわたしが思うに、彼らが幼少期・青春期のとき、わたしは良い親ではありませんでした。

 

自分なりに一生懸命だったけれど、ヨガやアーユルヴェーダの学びを通していのちの本質を知ると、かつての愛の渡し方は自分勝手な押し付けであったと気づいたのです。

 

だからこそ、彼らは混乱しただろうし、淋しい思いをしただろうし、心の叫びをぶつけてきたんだと思います。

 

「子育ては親育て」という言葉を聞いたことがありますが、いつまでたっても親ははじめてのことに動揺したり、決断に悩んだりするものではあります。

 

でも、今はその言葉に逃げたくはなくて、彼らに対する言動が純粋な愛のみならず、ときに世間体を気にしたものであったり、自分たちの保身のためであったりしたのだということをちゃんと受け止めていこうと思っています。

 

そういうことを彼らのいのちの知性は見破り、わたしたちに突き付けてくれたんだと今では心から感謝もしています。

 

わたしが想像する以上に彼らはもがき苦しみながらも、自分の力で生きようとしてくれたし、今もそうしようとしてくれています。

 

(もちろん、ひとはひとりでは生きていけず、わたしたち家族のひとりひとりと関わってくれたすべてのひとたちに感謝です)

 

今、彼らはわたしたちのもとを巣立ち、それぞれの道を歩んでいます。離れて暮らし、見えない・知らない時間がある今、少ないけれど接点をもてたときは、今のわたしだからできることをしてあげたいと思っています。

 

そして、良かれと思ってしたこと・伝えたことを受け入れても受け入れなくても、選択し行動するのはいつだって彼らの自由であることを心から尊重したいです。

 

 

2021.2.26 母としての記録

 

 

 

 

「手のひらにのる分」

 

 

畑とのつき合い方を変えたら、ずいぶん楽になりました。

 

昨年は、自分たちでは食べきれないほど収穫でき、まわりのひとに配り歩いて、嬉しいけれど忙しさもついてきました。

 

今は家に野菜がなくなったら畑に行って、夫婦ふたりでちょうど食べきれる分だけ持って帰ります。

 

この間はブロッコリーが手のひらにのる分しかとれなかったけれど、それがとても気持ちの良いことだと気づけたのでした。

 

こういう「気づき」はヨガを伝えるうえでも波及します。

 

たくさんの人を相手に講座をひらくエネルギーがある人も世の中にはいらっしゃるけれど、

わたしはもともとそんなにエネルギーが強い方ではありません。だから、がんばりすぎるとダウンしてしまうことを今までの経験上知っています。

 

いちばん大切なのは本当の自分のことをよく知ること。

 

そのうえで、自分にちょうどいい活動をすることが長続きの秘訣だし、目の前に座って下さるひとに対しても真の意味で親切なんじゃないだろうかと思っています。

 

ヨガを伝えることは、カタチあるものを右から左へ動かすようなものではないから、とてもエネルギーを要します。

 

そのエネルギーはやっぱり愛からのものにしたいから。

 

わたしは今まで素晴らしい先生方に出会うことができ、本当に恵まれていたと思います。

 

どの先生もわたしが感謝を述べると、「ヨガやアーユルヴェーダの教えが素晴らしいからですよ」と答えてくれました。

 

そして、わたしの努力を認めてくださって、わたし自身と家族・友人という近い存在に教えを伝え、活かすように促してくださいました。

 

「100人に教えるよりも、たったひとりの友人に伝えることに価値がある」

 

これは、わたしのヨガの先生のひとりであるMark Whitwell先生が教えてくれたことのひとつです。

 

たとえグループのクラスになったとしても、同質のものが存在するように、指導者は心配りをしなければなりません。

 

わたしが自分の暮らしを中心に、近しい人々にヨガやアーユルヴェーダを伝えているのも、それが真実であることを実感しているからです。

 

目の前に座って下さる人がひとりであっても、そのひとのまわりにはたくさんのひとの存在があります。そのひとだけのようで、そのひとだけではないのです。

 

わたしは今53歳であり、大切に想う年老いた母がいて、春にはふたり目の孫も産まれます。ヨガの講師である前にひとりの人として、なにが本当に大切なのかをしみじみ考えて、エネルギーと時間を使う対象を選ぶ年齢になりました。

 

そういう意味では、不器用ながらも、すこしは生き方が軽やかになってきたのかも知れませんね。

 

「手のひらにのるぶん」

 

これはありとあらゆるシチュエーションで心に浮かぶ今のわたしの秤(はかり)です。

 

 

2021.2.13

 

 

 

 

「おかえり」 ~指導者養成講座より~

 

 

初めて彼女に出会ってから、8年経つでしょうか。

 

彼女はわたしが籍を置いていたスタジオに生徒として通っていたけれど、言葉を交わし、互いを知り、いっしょにお茶を飲むようになり、今では何でも話せる友だちになりました。

 

わたしが自宅でヨガを伝えることにしたので、彼女は我が家に来てくれるように。その間隔は飛び飛びではあるものの、細く長く続き今に至ります。

 

あるとき、自らもヨガを伝える立場になりたいという彼女の気持ちを受け取り、さあ具体的に……と思った矢先、いくつかそうさせてもらえない状況が訪れました。

 

そのひとつにコロナのこともありますが、人生の中で起きるあれやこれやもあってのことでしょう。仕方がない時もあるものです。

 

2020年2月を最後に一度学びの流れは途絶えました。

 

わたしのなかにいつもある想いは[本人の意志]が大切だということ。

 

だから、あの時の意志が彼女の中に保持されているならば、きっと彼女から連絡が入るだろうと思っていました。彼女を信じていられたのは今までの関係性のおかげです。

 

彼女から連絡が入り、久しぶりに会話をした時、まずは近況を尋ねました。そして、彼女の意志が今でも変わりがないかという確認をしました。その気が失われていても、わたしが傷つくことはありません。本人がどうしたいのかが一番大切なのです。

 

彼女のこたえは「その意志はあるけれど、こんなに月日が空いてしまって、そのことをお尋ねしたかった」ということでした。

 

 確かに、正直言って、どこまで伝えていたのか。。。一度離れてしまったがゆえに、はじめから取り組み直さなければ。。。という気がしました。

 

ですが、会えない間、彼女は人生の中で起きる波の中で、自分自身のヨガをお守りのように継続して、穏やかに暮らせていたということを聞き、何にも代えがたい大切なヨガの真髄はやっぱり彼女の中に生き続けていたんだと、安堵しました。

 

こうして、一年ぶりに彼女との指導者養成講座は再開しましたが、伝えるにあたり、わたし自身あらためて大切な学びに触れ直す作業をさせてもらえて、内側から生き生きとしたエネルギーが満ちてくるのを感じています。

 

世の中のRYT(全米ヨガアライアンス)と呼ばれる、今やヨガスタジオのための資金源のようにもなってしまったシステムはこの世にたくさんのヨガインストラクターを輩出しています。わたしのヨガの始まりもそうした講座でした。しかし、そのなかでもどんな先生や仲間に出逢えたかによりますし、その後もヨガを通して自己探究していくことはとても大切です。

 

ひとにアーサナ(ポーズ)の指示を与えるだけではなく、本当のヨガの効果を目の前の人にもたらせるように、「ヨガインストラクターではなくヨガティチャーになりなさい」とわたしはMark Whitwell先生やJ.Brown先生から教わりました。

 

わたしがひらいている指導者養成講座とは、わたしの教えることにただ右へ倣えしてもらうものではありません。目の前のひとの個性を尊重し、わたしの伝え方のほうを工夫します。ヨガの真髄にたどり着く道は人それぞれなのです。

 

 彼女は一緒に暮らしている息子さんにヨガを伝えたいとのこと。そして、ご自身の妹さんの顔も頭の中に浮かんでいるようです。もう長い付き合いで、大切なことをじゅうぶん理解できているので、彼女には実際に教え始めてもらうことにしました。

 

「教えることは教えることでしか教わることはできません」これも、先生から教わったこと。

 

実際にひとに教えてみて、湧き起こってくる疑問について、ともに考え学んでいくこととします。

 

コロナウイルスが世界全体にもたらした影響を理由に、今できることを放棄してはならないとわたしは思います。わたしは生涯ヨガとアーユルヴェーダをまわりの人たちに伝えていきたいです。

 

そのために、今でもチャレンジしていることがあるし、わたしは成長できると知っています。年齢を重ねると、わたしの役割も変化するでしょう。それも楽しみです。そう、楽しみだと思えることは本当に幸せです。

 

みなさんもぜひ誰かのためにヨガを伝える人になってみませんか。いくつになってもあきらめないでくださいね。

 

こうして指導者養成講座のことを書いていると、いつも卒業生のみなさんの顔が心に浮かびます。今は会えていない人もいるけれど、いつも幸せを祈っています。

 

「あのとき、いっしょに学んだものをあなたの人生に役立ててください」

 

わたしに言えることはそれだけだし、これからも変わることはありません。

 

みなさんに心をこめて。

 

 

2021.1.26 のできごと

 

 

 

 

「つらつらと」 2021.1.19

 

 

ことばには力があります。

 

ことばを発するとき、それが音でも文字でも「愛」を添えたいものです。

 

そうは言っても、こころの中がいつも平穏であるとは限りません。それも紛れもない現実です。そんなときは「言わない」という選択もあります。

 

けれども、言わないことで内側に在るものがわたしたちを悶々とさせますね。

 

わたしの場合はヨガを通して、自分の本音をじっくり聞きます。日記を書くのもオススメです。

 

そうすると、相手やものごとに対して近目になってしまっていたことに気づき、アタマを冷ましてうまく距離感をはかれたり、そもそも一番なにが大切なのかということに戻れたりします。

 

自分では愛だと思っていても、相手を傷つけることもあるかも知れません。伝えたあとで、自分の言動を正当化したくなってしまうこともあるかも知れません。そんなときも見たくない・認めたくない自分の気持ちも観るようにしています。

 

最初は辛いかもしれません。でも、ちゃんと気づいていくと、魂は成長し、わたしたちは確実に楽になることができます。

 

生きていればいろいろありますね。後悔することもあります。でも、それらすべてが苦いけれど学びだと思います。

 

真正面から観ていくことが「きついな」と思ったら立ち止まってもいいんです。ひとりになるときがあってもいいと思います。私もそんな時期がありました。

 

でも、少しずつ自分のペースをつかめてきたら、ひとと関わることを放棄せずにいてほしいです。

 

ひとはひとと生きていくものだからです。

 

ときに、傷つけあうことがあったとしても、お互いに認め合って、赦し合って、ともに歩んでいけたらいいですね。そういう世の中であってほしいです。そのためには、まず一番近い存在である自分からはじめましょう。

 

ヨガは自分を理解することにも相手を理解することにも助けになってくれますよ。

 

 

2021.1.19

 

 

 

 

「朝霧カタツムリからの手紙」

わたしを生きたい!というあなたへ

 

 

今は便利な世の中で、スマホで検索すれば自分に必要な情報をすぐ手に入れることができますね。

 

例えば、エクササイズの動画。そのとき身体に余ったエネルギーを燃焼させてくれるかもしれません。でも、それらは一方的で、途中で切ろうと思えば何の遠慮もなく切ることもできます。飽きてしまえば、一生懸命にやったこともどこへやら、自分自身に身についたものが何にもなかったなんてことはありませんか。

 

あなたがほんとうに求めているものは何でしょう。ひょっとしたら、そのことを感知する感覚が鈍っているのかもしれません。今必要なことはもっと自分のいのちの感覚を育むことではないでしょうか。

 

新しい趣味に時間とエネルギーを費やし有意義に過ごしたようでも、本質的なものに気づいていなければ、わたしたちが真に満たされることはありません。何かの作品が完成しても、流行の新刊を読破してもおなじです。常に自分自身を満たす何かを探さなければならず、何かをクリアしても本質的に満たされることはないのです。

 

人生で同じパターンを繰り返していることに気づいたら、その気づきを大切にあなたのヨガを始めてみませんか。初心者のかたも、ヨガ経験者も大歓迎です。

 

新春企画として、マンツーマンのオンライン「カタツムリの1.2.3」をオープンします。春まで毎月1回90分の対話・ヨガセッションを行います。全3回の短期間受講・20,000円です(3名まで)★カタツムリの手紙つき

 

春に向けて、マイペースであなたの花を育てていきましょう。お待ちしておりますね。

 

 

2020.1.11

 

 

 

 

「まことのことば」

 

 

あけましておめでとうございます。

 

年の暮れ、年の始まり。年をまたぐときには、いろんな方々と「挨拶」が飛び交いますね。

 

ことばの根にはそのひとの想念・心・魂が宿り、ことばをあらわすとそのエネルギーは内側から外の世界へ伝わります。なにげないおしゃべりもその人をあらわしているし、手紙だって、SNSだってそうですね。

 

ことばが正直でなければ、自分の内側に在る本音とズレが生じ、相手ばかりではなく自分自身をも傷つけることになります。口にしたそばから居心地の悪さにソワソワしたり、後悔に苛まれたり......。

 

誤魔化しのある人には何の魅力も感じられません。いくら流行りの洋服に袖を通していても、メイクが上手でも。

 

本当の美しさとはだれも知らない・見ていない所で自分自身のいのちの花をひらかせているようなひとです。そういうひとには焦りも不安もありません。ときに、そういう事態に見舞われたとしても、自分が戻るべき場所をちゃんと知っています。

 

そういうひとにはおなじ波動を持つひとが集まるのです。類は友を呼ぶ、と昔から言いますね。本音で語り合えるひとといっしょにいると、お互いに響き合い、お互いを高め合うことができます。

 

本当の豊かさとは何であるかを自分のために知ろうとするのは自然なこと。ヨガやアーユルヴェーダはその助けになってくれるでしょう。

 

今年もみなさんにお会いできることを楽しみにしています。お待ちしておりますね。

 

 

2020 .1. 4

 

 

 

 

「一文字で」

 

 

2020年という年を漢字一文字であらわすとしたら、みなさんはどんな漢字が頭に浮かびますか?

 

そして、新しい年への抱負を漢字一文字であらわすとしたら、どうでしょう。

 

今までを振り返ると、わたしは「観」「知」「開」「養」「愛」「生」「深」などを選んできました。

 

今年は「環」という字が今の心境に合う感じがします。意味は「輪の形。めぐって端のないこと。まわりまわる。めぐる」とあります。

 

良いも悪いもこの世は端がなく繋がっていることを実感した年でしたし、わたし自身、未知の経験に翻弄されつつも、まわりまわってやっぱり「わたし」に戻ってこられたことから、この字を選びました。

 

2021年は「富」という一字を選びます。これはアーユルヴェーダの学びによっての深い気づきによるものです。

 

アーユルヴェーダのディ―パック・チョプラ先生の「富と宇宙と心の法則」という本のはしがきをここで紹介しましょう。

 

***(一部抜粋)

 

「富の意識」と聞いて、単なるお金儲けのことだと思われたなら、大間違いです。

 

この意識を身につけるには、人生を戦いではなく、自分の願望がすんなりとかなえられる素晴らしい冒険と考えられるようになることです。

 

さらには、どこにいても美しいものを見つけ出したり、いつも感謝の心を忘れずにいたり、出会う人すべてに心を開くことができなくてはならないのです。

 

富の意識とは、心の状態のことです。

 

***

 

わたしはアーユルヴェーダに出逢って、本当の富とはどういったものなのかについて意識を向けるようになっていきました。

 

ただただ怯えて暮らすだけではなく、まわりとの調和も大切にしながら、自分自身の知識を深めるためにチャレンジしたり、楽しむことを放棄しないで生きていきたいですね。

 

あなたの選んだ一文字もぜひ聞かせていただけると嬉しいです。

 

 

2020.12.27

 

 

 

 

「母心」

 

 

わたしのヨガのクラスには、よく母娘さんがお越しになられます。

 

お母さんが娘に伝えたいことを、ヨガを通して感じてもらいたいんだろうな。そんな気がしています。同性のうえ、距離が近すぎて伝えられないこともありますもんね。

 

自分探しで迷子中の女子中学生と、ヨガでなにか気づいてくれるといいなと願っているお母さん。

 

成人しひとりの女性として羽ばたかんとキラキラしている娘さんと、女性として大切なことを伝えていきたいお母さん。

 

自分自身のカラダの変化にそれぞれに向き合い始めた40代・70代の母娘さんはそれぞれに想い合っている感じです。

 

もちろん、お母さんだけじゃなく、お父さんの場合も。娘さんだけじゃなく、息子さんの場合もあります。

 

ひとの数だけ人生の生きたドラマがありますね。わたしはいつもみなさんのそばで胸が震えるような感動を頂いています。

 

ヨガクラスを通してほんのひととき、ご一緒させて頂くあいだ、その場の対話や空気をわたしなりに読み取って、みなさんにそのとき必要と思われることを、心を込めてお伝えしています。

 

ヨガやアーユルヴェーダを学ぶと、現実社会の教育で教わらなかったことをたくさん知ることができます。

 

教科書に書いてあることをいかに暗記し、あるラインをクリアできたとしても、「わたしたちはどうしてここに存在しているのか」「わたしたちの生命の中に脈々と受け継がれたものがいったい何であるのか」を感じさせてもらえるような教育には、残念ながらわたしたちは出会うこともなく、からだだけが成長し世の中に出ていくことを促されるのです。

 

(良い先生に出逢えたなら、それはとてもしあわせですね)

 

この写真はわたしの友人と娘さんのヨガのときのもの。幼稚園のスモッグ姿は遠い昔。今ではすっかり大人の女性です。

 

彼女は「友だちといっしょにいろんなヨガに行ったりもしたけど、すべては今日のためにあったような気がします」と言ってくれました。

 

彼女に伝えたのは、ヨガを通して自分自身と対話をすることでした。

 

この世でたったひとりの自分自身をあらためて「自分に一番近い生命」「いのちまるごと自分自身そのもの」として受け入れた時、この生きたエネルギーを「何に」「どんなふうに」使っていくのかということを投げかけたのでした。

 

彼女のまっすぐな瞳とはっきりした言葉から、ちゃんと大切なことが手渡せたことが分かって、じんとしました。

 

そう、みんな誰かの大切なひとなのです。この時の彼女はわたしの娘のようでもありました。

 

 

2020.12.21 冬至

(木星と土星がとても近くに在った日)

 

 

 

 

「種」

 

 

わたしたちは知らないまんまでいることが多くあるね。自分のいのちに関わることだというのに。

 

このドキュメンタリー映画では、地球上に存在する種の多様性を守らんとする「種の守り人」たちの生の言葉を聞くことができます。

 

~種は胎児だ。寿命がある。何十世代ものエネルギーが種子に注ぎ込まれている~(本編より)

 

なんてどきどきする言葉。「種は生きてる」ってことを感じるね。いや、実際、ゴマ粒より小さな種が立派なニンジンに育ってくれるのはミラクルでしかないからね。ニンジンの生命の設計図が種の中にあるってことがわかるんですよ。

 

ところが悲しいことに、もうすでに、この地球上の種の94%が消滅しているというんです。カボチャもスイカもアスパラガスもそれぞれにもっと多種多様だったのに、種類が激減しているのです。気候変動と大企業による種子市場独占が大きな要因だそう。

 

そのうえ、多くの国々で農家が自分たちで種子を保存し、翌年撒くことが禁止されるようになっているとのこと。そんなことってある? おかしくない? 自分たちの畑の作物から種をとって、次へ繋げるってごく自然のことだよね。

 

乱暴な力で自然のものを所有して、管理・操作するなんて、間違ってる。

 

このまんま無関心でいると、わたしたちが口にするもの、からだの一部にするものが不自然なものである可能性が高くなる一方だね。

 

わたしたち夫婦の小さな畑でさえ、なるべく自然農法でやろうとしていても、ちょっとしたところでむずかしさを感じているよ。種や苗の出所を疑わなくちゃならなかったりして、種の袋や苗のプレートを必死で見たりするもんね。それに、畑を管理して下さる方が良かれと思って近くに除草剤撒いたりね。

 

だけど、今クローバーに囲まれたこぼれ種のニンジンを目の前にすると、わたしたちはわたしたちの今できることをそれなりに納得いくようにするしかないと思える。

 

次はこのニンジンの花から種をとって次に繋げてみよう。種たちを今まで以上に観察もしてみたいな。今日はそんな気持ちにもさせてくれた映画の話でした。 

 

 

2020.12.14

 

*下の写真はクローバーに囲まれた こぼれだねニンジン

 

「関係性」

 

 

今日、とてもひさしぶりにJ.Brown先生に会いました。画面越しだけれど、それがなにかを減らす要素にはなりませんでした。

 

なにかを「新しく学ぶ」とか、「学び直す」とかではなく、先生に会えて「ただ純粋にうれしかった」です。この感覚はしあわせ以外の何ものでもありません。

 

先生はわたしを見つけて名前を呼び、再会を心から喜んでくれました。

 

いつも正直で、自然体で、かっこうをつけずそのまんまでいてくれる先生。

(言葉にすると、聞きなれたヨガ台詞のようになってしまうのが惜しいぐらい)

 

彼がアメリカ人男性で、わたしが英語のできない日本女性であっても、心が通っているのには学びを土台とした先生と生徒の関係性が明らかにあるからです。

 

かつて、先生は「なおことはおなじ音楽を奏でているようだ」と言ってくれました。ギターで音楽の道も考えたことのある彼らしい表現で、おなじように感じていたわたしはしみじみ嬉しかったものです。

 

今日の講座を受けて、わたしはわたしの目の前の人たちに、「教わった通りに教えることができている」ことを再確認できました。

 

わたしはわたしの指導者養成講座を受けてくれた卒業生たちと会っていても会っていなくても、こころのなかでずっと想っています。

 

「ヨガの真髄はちゃんとあなたの中にあります。あなた自身を信じて、学んだことを自分自身のために生かしてください。そしてあなたがもし喜びを感じることができるなら、できる範囲で身近なひとに、心を込めて、あなたが教わったようにヨガを教えてあげてください」と。

 

(教えることが目的にならないように。教えなければならないわけではありません。)

 

今日はblogを通して、みなさんにこの言葉が届きますように。

 

 

2020.12.6

 

*写真はJ.Brown先生と。2019年夏。

 

 

 

 

「距離感」

 

 

大切にしていることのひとつにこれがある。

 

距離感。

 

なんとなくわたしを受け入れてくれていることを感じてはいるけれど、距離を詰めたりしない。

 

相手を尊重し、私も尊重していれば、おなじ場にここちよくいることができる。

 

 

2020.12.2 

* 写真はきんちゃん

 

 

 

「今日という一日」

 

 

今日という日をどんな一日にするかは、自分の手に委ねられています。

 

ヨガ講師であっても、わたしにだってだるい日はあるし、おしりに根が生えたように動きたくない日があります。

 

でも、面倒くさいと思うことを、とりあえずひとつ、そしてまたひとつ、とクリアしていくと、だんだん自分の中に芽生えてきた「動き」や「リズム」に助けられて、活動が始まっていきます。(とりあえずのひとつめがむずかしい笑)

 

今日もそうやって始まりました。「いつも通り」って肝です。「いつも通り」は安定した土台のようなもの。

 

「いつも通り」のなかに、今日でしか起きないできごとが混じり込んできます。だから、いつの日も唯一無二の日。

 

今日はわたしにっては、とても大切な姉のようなひとに、伝えたいことを伝えてみようという気になりました。彼女は自分の歩む道を決めていて、エネルギーのほとんどすべてを思うものに注いでいるのでした。ただ、自分自身を労わることを後回しどころか、どちらかというと一生懸命が故に、身を削りがちなことをわたしは知っていたのです。

 

ヨガクラスのあと、彼女に会いに行き、忙しいのは承知のうえで、オイルを使ったマッサージをさせてもらえないかお尋ねしました。

 

そうしたら、彼女はとても喜んで受け入れてくれました。おせっかいは今の時代、受け入れられない場合も多いかもしれません。

 

でも、距離感を大切にしながら、ときには大切な人に素直な想いを伝えて関わっていきたいなと思います。

 

でも、実はわたしだけじゃなく、彼女には他にも素敵なおせっかいをしてくれる人がたくさんいたようです。そして、おせっかいをありがたがって受け入れてくれるお姉さんは、やっぱりええひとやなと安心して帰路につきました。

 

今日という一日もほんとうに味わい深かった! 

 

おやすみ、わたし。おやすみ、みんな。

 

 

2020.11.27.夜

 * 写真はお嫁さんからもらったカランコエ

 

 

 

「わたしたちは小さな活動家」

 

 

わたしたちはどんなひとも活動家になれると思う。

 

世に知れた偉業を成し遂げたひととおなじように価値あることを、何気ない日常の中でできると思う。

 

朝早起きして、栄養を考えてお弁当を作ることも。

 

家族みんなの洋服やタオルを洗濯して干すことも。

 

宅急便の人にありがとうの言葉を忘れないことも。

 

たくさんとれた野菜をご縁あるひとにお裾分けすることも。

 

花の種を来年のためにとって、乾かしておくことも。

 

悪かったなあって思うことを素直に「ごめんね」と言うことも。

 

今日という一日を わたし自身と手の届く範囲の人たちのために大切に生きているということがすでにそういうこと。

 

自分が意識して、愛ある行動を選択できたという価値を自分自身が知っていれば、わたしたちは誰でもすばらしい活動家になれるでしょう。

 

 

2020.11.26

 *写真はカマーラフールの看板猫シャンティ

 

 

 

「決めること」

 

 

畑をはじめたばかりの頃、新顔の私たち夫婦に、まわりの親切な先輩方がいろいろなノウハウを教えてくれました。

 

オットの田舎で畑仕事の経験があるとはいえ、自分たちで一から農作業をするのは初めてだったので、教えていただいたことを参考に野菜を作っていました。

 

ところが、わたしがやりたいのは自然農法。

 

化成肥料を使わず、マルチという黒いビニールで土の保温や保水をしたり雑草を抑制するのではなく、その辺に自然に生える草たちの力を借りて、野菜と共存させる方法を取りたかったのでした。

 

しかし、お世話になった先輩方の畑は草ひとつ生えていないし、野菜が綺麗に並んだ状態です。なので、私たちが「方向転換」するにはちょっぴり勇気が要りました。わたしたちが迷っている間は、なんとなく畑も中途半端な状態でした。

 

だけど、決めました! 思うように自由に実験してみようと。

 

畑から黒いビニールを取り去ったときの心地良さったらありませんでした。まさに大地が呼吸をしている感じ!わたしの呼吸まで深くなりました(笑)そして、畑じゅうにクローバーの種をたくさん蒔きました。

 

私たちの方向転換は誰の目にも明らかでした。まわりのひとたちはきっと驚いたに違いありません。でも、「決めた」ことはちゃんと人にも伝わります。とてもすっきりと! みなさんの温かい態度でそれがわかりました。結局、自分次第なんですね。

 

「決める」とものごとの方向性がはっきりして、あとは進んでいくだけ。これからが楽しみです。

 

 

2020.11.19   

 *写真は初めて種蒔きしたニンジン

 

 

 

「ひとに触れること」

 

 

アーユルヴェーダのシロアビヤンガを受けに、ある女性が来てくださいました。彼女はわたしの中学時代の親友の親友です。ここ数年、海のヨガに参加してくれたりして、少しずつですが、彼女に会うたびに、彼女自身のことを知ることになりました。きっと彼女もわたしのことを知ってくれたからこそ、今日が訪れたんだと思います。

 

わたしは何年もヨガを通して、目の前のひとたちと向き合ってはきたけれど、シロアビヤンガは直接そのひとの肌に触れるので、ヨガとはまた違った関わり合いが生まれるような気がしています。

 

わたしは、彼女に触れさせていただくことに対して、ありがとうの気持ちを込めて、手を動かし始めました。

 

彼女に触れているうち、彼女のお母さんのことがふいに心に浮かんできました。彼女は若いころにお母さんを亡くしておられるのです。

彼女の中に注がれたお母さんのいのちもいっしょに癒せるといいなと思いました。そして、彼女のお母さんはきっと、今、娘が自分自身を大切にしているのを喜んでくれているような気がしました。

 

施術後、今日の感謝とともに、その話をしたら、彼女の眼からぽろりと涙がこぼれました。母親の存在はやっぱり大きいですよね。

 

彼女にも娘さんがいるので、「お母さんてさ、自分の娘が自分のことを大切にしていたら、きっとうれしいと思うねん。だから、自分のことを大切にしてね」と話しました。

 

ひとに触れるって、ただ触るだけじゃない。とても深いものだなと思いました。「癒し」の効果を感じていただけるよう、このアプローチ法も大切にしていこう。

 

 

2020.11.16 

 ※ 写真は母と訪れた太山寺の紅葉

 

 

 

「みんなちがって、みんないい」

 

 

わたしは子どもの頃から、「個性」というものにとても敏感でした。両親はそれぞれに自分の個性を自覚した人たちでしたし、わたしの個性も尊重してくれたので、その影響もあるでしょう。

 

だから「十人十色」という言葉は真実として、昔から好きです。その言葉に守られたかったのかもしれないですね。右に倣えをよしとする文化に対して、馴染めない感情を持っている自分を責めずにいられますから。

 

思春期は自分らしさをどう表現するのか、ずっと思案していました。「自分らしさ」ってなに? ずっと自問自答している面倒くさい子どもでしたし、自分で自分を持て余していたような気がします。

 

だから、人生の紆余曲折を経て、最終的にヨガに行き着いたのは、わたしのなかでは自然なことでした。気づくのがずいぶん遅くて、ハートは傷だらけでしたけれど(笑)

 

ヨガを学んでいくうちに「100人いたら100通りのヨガが存在する」というヨガの真髄(ハートオブヨガ)に触れたことで、わたしはまたひとつ楽になり、わたしを真に生きられるようになりました。

 

「自分を生きる」と言っても、社会の一員として秩序やルールはもちろん必要ですし、それらを否定しているのではありません。ただ、一律なものの中に、自らの生命をぎゅうぎゅうと無理やり詰め込むような生き方ではなく、現実の暮らしのなかに在りながらも、自分の生命と語らい、なにかを選択したり、行動することは必要なことですね。

 

自分に合ったヨガを通して、自分自身の正直な声を聞くようになると、ハートが満たされていきます。

 

そうすると、だんだんと他の人の在り方も認められるようになるからふしぎなものです。

 

みんなちがって、みんないい。 そんな感覚が訪れると、ほんとうに楽で気持ちいいですよ。

 

 

2020.11.2

 

 

 

 

「言霊はじめ」

 

 

このスタンプはわたしが消しゴムで作りました。

 

作るとき、カタツムリの殻が 右巻きか 左巻きかを考えたんだか、考えなかったんだか

 

もう忘れてしまうぐらい

わたしのヨガの始まりは 遠い過去のことになりました。

 

実際には 右巻きのカタツムリも

左巻きのカタツムリも存在します。

 

この世のカタツムリは すべておおきな宇宙の営みの一部として、自分の意思とは関係なく、それぞれに右巻きであり、左巻きです。

 

カタツムリというふしぎで繊細でかわいらしい生きものの名前を借りて、わたしはヨガの場をひらいてきました。

 

2020年の秋、わたしとみなさんの活動が満9年を迎え、10年目はくるんとかえって新たな始まりのゼロ年として、友人である小林樹枝さんにホームページのデザインを依頼しました。

 

彼女はわたしとおなじヨガの先生から、「生」に対する大切なエッセンスを受け取った仲間であり、彼女の家族の あるエピソードがわたしをヨガの真髄へと導いてくれたのでした。

 

樹枝さんからホームページを受け取ったとき、この言霊のページにわたしのスタンプを置いていてくれたので、そのまんま思いをはせて言霊にしてみました。

 

樹枝さん、アナログなわたしに根気よく付き合ってくれて、ありがとう。あなたの思いやりと素晴らしい仕事に心から感謝します。

 

もし、この頁をめくって下さったあなたが彼女に仕事を依頼したい場合、わたしのホーム画面の下にあるlife web design Kie Kobayashi

の連絡先を辿って下さい。

 

2020.10.27